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源・意識
人を動かしているのは、その人の意識です。
人の思考や言動・行動・選択にはある流れがあります。
一連性とでも言うのでしょうか・・・。大切なことは、その一連性がその人の人生を豊かに、幸せな状態に導いているもの、また人をも幸せに、調和的な、いい関係に導いているものならいいと思います。
自分の意識のあり様に気づくこと。
出来る限り、自分も人も無理のない自然な状態への努力、意思力が必要です。これは表面意識の私のできること、気づきと実行への努力です。
しかし、表面意識の努力だけでは改善にとても時間がかかってしまいます。

そこで秀蕊の気光では、深い意識層での体感(バランスの状態に身を置くこと)、深い意識層は完全バランスの意識場ですから、この意識場で、自分の力み(リキミ)や思考を越えた意識に身を委ねることでのバランス回復、調整の磁場へと誘導していきます。この効果はとても自然で、大きなものです。
真の寛ぎや安らぎの体験がその人に与える影響はとても大きいです。秀蕊の気光は「誘導」という形で、この磁場へ自由自在に導ける気光なのです。ですからその人の意識のあり様とは関係なく、どなたでも源の体感をすることが出来ます。
また、少し浅い意識場では「因」を体や感覚で理解、体感して戴きます。そして、表面意識では体を通して練功や呼吸法、聖(高次元エネルギー)のメッセージを通して具体的な方法やバランスへの方向づけを学んでいきます。

大切なことは「自然・源・命の流れ」に添った意識のあり様を学んでいくことです。日常生活での問題や体の問題、人との関係の問題も、根本の流れへの気づきの結果、解決へと向かうのです。
秀蕊の気光は、その人の気づきへのメッセージ、源からの働きかけです。

すべての答えは「源」にあります。
私は「源」以上の癒しもパワーもないと確信いたしております。

ボディチェックの具体的な消し方は一つではありませんが、源の感覚に向かうという目的では一つです。
秀蕊の気光は勉強会での学びが基本です。学び続け、気づき続け、自分自身のあり方を「源」に添っているか、チェックしつづけてください。
 
自分に自信をもつということについて
人の評価は余り確たる基準がありません。
人によく思われることと、正しいことかどうかは別です。

人がいい、というのと「いい人・いい生き方」は違います。
自信-- 自分を信じること、自分の内部にある力を信じること

自分で自分の判断を信じられること
この自分は、自我の我のままの自分、自己中心的な自分、身勝手な自分ではありません。「源」という調和の意識場から正しく判断している「私」です。この内面の強い力、正しく物事を判断している自分を信じるということです。
この内面の感覚に添っているかどうか?
その人の生き方が真実かどうか?
調和的かどうか?
命の働きを曇らせていないかどうか?


周りの声は正しい時も、正しくない時もあります。人の評価を基準にすると頑になったり、いい評価を受けたくて振り回されたりします。
自分の内部の声、感性を大切にすること。
自己都合や身勝手な思い込みではなく、静かな、ゆったりとした、淡々とした眼、意識でものを観、考えることです。

直感や霊感といわれるものは、まだバランスがとれていません。
私の言う「源」の感覚はもっと研ぎ澄まし、磨ききった感覚です。
一つの注意事項として、少し感覚のいい人や霊感・直感に頼る人の中には(本当は違うのに、自分では能力と思っている)自分の感覚を特別と思いたがる所があります。その結果「相手のオーラがどうのこうの」「前世が・・・」などという方向へ向かいがちな傾向がありますが、それ自体が既にバランスを欠いた、源へ通じていない証明です。依頼心の強い人や劣等意識の強い人は、特別な人・特別な力に憧れを持つのです。そこに気づいてください。
気光の状態、源意識は誰の中にもある意識です。特別なことではありません。ただ、一般には自分のさまざまな思い癖や想念で回路を閉ざしているだけです。
「源」には我々の意識を越える力が潜んでいますが、決して非常識な世界ではないし、他人任せの世界でもありません。

自信とは、自分で自分の判断、感性を信じられること、信じられている状態の「私」です。
  人は自信がないから、自分を信じられないから、外へ外へと忙しく心を・体を動かしていくのです。
 人は自信がないから、人の評価に一喜一憂するのです。
答えは自分の内部にあります。
不安の根をしっかりと自分の眼で見ること
気光の勉強はそのためにあるのです。
ただ、静かに自分をありのままに観ること、冷静に・客観的に自分を観ることです。
周りの判断で生きるのではなく、自分の判断で生きることです。
なぜなら「私」の人生の主人公は「私」なのです。
合掌・長嶋
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