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 真実の眼                                              .  
 真実を観るには 
 見えるものだけを見ていてはいけない
 聞こえるものだけを聞いていたのでは
 真実は観えない

 人の眼を塞ぐものは欲です
 人の耳を塞ぐものは欲です
 自我は事実を認識する眼や耳を閉ざします
 そして、人を卑しく致します

 事実を識るためには
 心で観る(心眼)
 心で聴く(傾聴)
 心を無にして
 事実を観ることです
 ありのままを認めることです
 気配(けはい)を感じることです
 敏感に、敏感に

 感じる心、感性を大切に!!


縁とは、不思議なもの                                  円になる縁                              
喜びに繋がる縁
怨(厭)になる縁
苦に向かう縁
どんな縁を結ぶのか?
源に添った縁に巡り逢いたいですね
                              2007.1.1   長嶋記



素・直に生きる
いい人生は
自分をごまかさない
自分を責めない
人も責めない
自分を素直に認める
自分を大切にしています
人を大切にしています
自分を苛めない生き方をしています
素直に、素・直に
                               2006.9.12   長嶋記


メッセージ その一
欲の心は、際限のないものです。なぜ欲の心が出るかと言うと、本来、自分の向かうべき場所、いるべき場所がわからないから、欲の心が出るのです。
真実を求める心があれば、真実を求めていれば、欲の道に入ることはありません。真実を求めようとしないから、欲の心が起きるのです。
人の欲の度合いと、その人の霊性の高さは、比例しています。
心を上げていくこと、自分の向かうべき場所を知ることで、欲の心は起こらなくなります。本来、自分の向かうべき場所が分からないから、欲の心に振り回されるのです。真実を求める心があれば、欲の心は出ません。欲の心は起こりません。真実を求めないから、欲の心が起きるのです。
いろんな人がいます。いろんな思いがあります。でも人の欲の心を見る必要はありません。欲に関わる必要はありません。真実だけを見つめればいいのです。真実だけを行えばいいのです。真実だけを考えればいいのです。人がどうであるかということは関係ありません。自らがどうありたいか?どうあるかということが大切なのです。人を変える必要はありません。自分が真実を行うことです。自らが、真実を行う心を持つことが大切です。人を変える必要はありません。
2005 6 16 某島にて
気光の可能性を出していくことが、人の欲を引き出してしまうことに繋がらないように考えて行かなくてはいけないと思います。しかし、常々、聖曰く、凄い気光力を出さなくてはいけないほど、人の欲や思いが低い!とメッセージは続きます。
メッセージ その二
人の欲に関わってはいけません。
大切なことは、人を導いていく方向性です。人の欲に目を向けると怒りが湧きます。
人の欲に関わってはいけません。大切なことは、天意の実践です。
・・・・・が発揮されます。しかし、それは、・・・が必要なほど人の欲や人の思いの低さ、・・・・・必要な・・なのです。秀蕊気光に枠はありません。誰でも、理解することは可能ですが、実践できる人もまた、少ない気光です。この気光は、人の意識の中にある暗闇の部分や心の矛盾を、気光を通して表面化することによって、自ら浄化していくこと、いけることを伝える気光です。ですから、だれでも、意識を合わせることで、その効果を、意識を持った状態で体感することが出来るのです。
今、世の中に起こっていることは、人の心の影の反映です。早急に、人の心の浄化が必要です。修行し、理解出来る人を待っていては間に合いません。ですから、秀蕊気光の担っているものは、どんな意識の人でも、その人が、自らの心を上げて行くことを望み、意識をあわせていくことで、浄化の方向に導くことが出来るというものです。真に、理解し、実践する者の数は少ないです。でも、真に理解し、実践する者の霊性は、高くなり、霊性を引き上げることが出来るのです。
欲の心を持つ人に関わる必要はありません。大切なことは、天意を知り、実践することです。
2005 6 16 某島にて
メッセージ その三
すべては、天意です。すべては天意なのです。
今、真実の時代が始まり、必要なこと、封印されていたことも、表に出てきます。また、事実と違うこと、真実でないことも表に現れます。すべては真実の実現のためです。
天の意思は、人の意図や思惑とは違った所で動いています。人の意図、思惑に惑わされないこと、天意を感じられること、天意に添うことが大切です。天意を感じ取れることの出来る感性を自らの努力によって表面化させることです。本来、人の中にある真実を求める心と、真実を行おうとする心を表面化させることです。人の思惑や計らいに心を動かされてはいけません。
大切なことは、天意を感じ取ることの出来る心、天意を読み取る事の出来る心の状態であることです。真実のアンテナが必要です。
歴史は、その時々の必要に応じて、作り上げられることもあります。公表されないこともあります。それは真実とは違います。その時々の人の思いや計らい、状況と天意は別です。
真実を実現すること、それが人の道です。人の生きる道です。
2005 6 16 某島にて
 
【人生の時間】
真実の時間を大切に

何に時間を使うのか
人生の時間の配分を考えること

真実の時間
真実に関わる時間を大切に
真実の時間は人を高めます

人は今、霊性に目覚めなければいけません

霊性の高い人は、周りを明るくします
霊性の高さは人に与える影響の強さ
霊性の高さは、人と人の関係を調和的に高めます

人は今、霊性に目覚めなければいけません

意識
潜(在)意識は個人の記憶の蔵
その人の生きてきた歴史、体験です
潜(在)意識は
その人の魂のあり方と関係があります

しかし、超意識は不変のもの
深く、深い宇宙の心
超意識は神に通じる道

聖(ひじり)は
超意識からのメッセージャーです

聖のメッセージは
超意識からのメッセージです

沈黙を守っていると
心の声が聴こえてくる

ほんの少し、
おしゃべりを止めて
こころを内側へ向けると
心の声が聴こえてくる

内観と外観
内観をしない理由を探していませんか?
内を観てください。
答えは必ずあります
 
「徳」と言う言葉は
「十字」の意識で  (偏らない意識・公平・平等・平和・冷静・客観)
「目」で  (観る・見極める)
「心」で
「行」  一心に、一身に、行動していくこと
人が見ていても、いなくても
人が評価しても、しなくても
人の好みや評価、時代を追わない、一貫した意識

人生は、自由裁量!
天は、その人の選択に委ねておられます
ただ、その選択が
自分の求めているものに
自分の求めていることに
近づいている行動なのですか?
常に、問い掛けたいですね。
任されることの意味
自分勝手ではなく、天の意志を汲み、実現することです

めもり
ありがたい(有り難い)という言葉は
本来「ある」ということが「難しい」こと

甘えや期待感、依頼心は
人さまの配慮や心配(こころくばり)に気づいていないこと

自分中心の心・傲慢のめもりチェック
どの位必要?満足のめもりチェック

感じて謝々
感謝のめもり見つめたい

五本の指
それぞれの指は長さも役割も違う
なのに人は、その指を比べることに時間を費やしている
違いにばかり眼を向けている
役割を果たすことに意識を向けないで、悩んでいる
右手と左手も同じ
自己主張に時間を費やすことより
手全体の動きを考え
指である自分はどう動いていくか?と意識を使いたいですね

自分の追い求める理想と
自分に向いているものが違っていることもあるという現実

自分の気持ち、主観は大切ですね
でも、客観という眼も必要です
対極に、太極に立って観れるといいですね

知足者仙境
不知足者凡境
 
人は人から学びます
いつも謙虚に、真摯に
学ぶ姿勢を大切に

人の生き方いろいろ
人は人と出会ってお互い影響を受けます

意識が違うと人は離れます
淋しいですね
しかし、それは仕方のないことです
歩みの速度の違いは大丈夫、同じ道なら
でも意識の方向が違ったら、難しいですね

人の生きる意味は
人と人の出会う意味は
真実を識ることです

サラリと流す柔軟さと
ピシリと真実を伝える強さと
明るさ、やさしさを忘れずに

自悠空間
人と人
べとつかない
立ち入らない
でも、離れすぎない
心地よい空気の流れる快適ゾーン

愛に情(自分の思い)を絡ませると重くなります
条件付きでない「愛」を

サラリとした愛の表現

表現はその人の心の形・姿です

民事とはもめごと
人はみな自分の民事の原因を知っている
でも、それを認めたくない
認めれば解決できるのに、認めない

認めることは
自分の非(欠点)を認めることになる
自分の宿題と向き合うことになる
だから、認めない
認めない理由を探している
言い訳探して苦しんでいる

すべての民事の原因は自分の宿題
一番自分を知るチャンス
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