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自悠空間便り・20
日に日に、春を感じるこの頃です。今年の冬は、夜な夜な猪らしきものが出没していたらしく、畑を耕してくれています。秋には、熊が食べ物を求めて民家に現れたとのニュースがありましたが、気象の異常だけでなく、動植物の世界も異変です。当たり前と思っていたことが、当たり前でなくなり、予定外、予想不可能ということも起こりうる覚悟が必要のようです。
然し、私にとっては、早々と保護していた蓮も今年の寒さで根が凍り、畑の作物のことなど、一考するチャンスを戴いた気がしている。母に随分、負担をかけていることや自分の仕事量や内容が増えてきている今、優先順位を再考したいと思っている。
それにしても転機はいつも自然に、自然なありように向かうものだと思う。無理はしない。ヒーリングスペースを開いて五年。ようやく動けるスタンスが固まった気がする。何でも基礎作りには時間はかかるが、その中で必要・不必要、何が重要か?よりスリムに、明確化できるので、この手間は大切と思う。
よく、会に関わり始めの人が、「こうしたらこうすれば・・・」と言われるが、貴重な意見は留意している。けれども、私なりに人の意識に働きかけること、この使命にはかなりの責任も感じているので、慎重かつ確実・堅実路線を維持してきている。熟考を重ね、タイミングをとらえ行ってきたという自信はある。
暫くすると、大概理解してもらえる。自分を、自分の利益や自己保存の意識にいる時、自分の視野には枠があるので、人を真に理解することは難しいだろうと思う。そんな時、たくさん頭で理解しようと聞きたがるけれど、枠内の理解は出来ない。実践・感性・理論の智・情・意をバランスよく学ぶ中、一度理解出来たと思い、お試しを受け、人を、同じ課題の人を通して何が問題か?を学び、ようやく腑に落ちるものだと思う。
だからある時期、私は、余分なことは言わないようにしている、その人が本気なら学んだ事を実践すると信じている。信じることに時間は不要。もっともっとと信を求める人の欲に時間を費やすことも、付き合うこともしない。

秀蕊の名前の由来の人の成功の源の三心(熱心・恒心・虚心)を気光を通して学びたい。
☆熱心
☆恒心→根気・耐心
☆虚心→いつまでも変わらない意思・先入観のない気持ち

今年は、年初めから、各地の同好会にも行き、春から今まで、メッセージを受けてくださった方達との「聖の和・輪」の交流会も始まる予定で、再度、聖のメッセージの意味を一緒に考えて行きたいと思っています。秀蕊気光は、何といってもメッセージが核にある。
例えば魚を食べる時、身だけ(その人の食べたい部分だけ)食べて、魚を理解できるのだろうか?秀蕊の気光は実践の、生活、人生を味わう気光だと思っている。だから、練功も内観も、メッセージもすべて平行してある。一部だけで理解できるものではない。私は太極拳も気光の功法もするけれど、それだけとは思っていない。
人を理解する時、ものを学ぶ時、頭から尻尾まで、骨まで観ないと理解できないと思っている。本当に理解したいなら・・・。それなりなら身だけ食べればいいけれど。
よく受ける質問に「信が持てない」という。しかし答えは簡単だ!その人は、最短距離・自分の努力以上の結果だけを望んでいるということ。この人はプロセスでなく、結果・答えだけを求めているということに気づけばいいと思う。責任を伴うことやマイナスとわかること、結果のでないと思うこと・不利なことはしたくないという気持ちがあれば迷いは大きくなる・・・いかがでしょうか?気光はそんな自分の心をシッカリと観ることです。深く、味わって生きることなのです。
春ですね!冬を耐えた梅の蕾、お届けします。
春ですね!梅の蕾
春ですね!梅の蕾
忍!開花
忍!開花
2005.3 長嶋

自悠空間便り・19
お蔭様
いつの間にやら
あたりまえ


先日、F先生とお話ししていた時、こんな言葉を話されていました。いつもサラリと心に残る言葉を、タイムリーに、的確に話される方です。
胸・耳にチクリ、よく効きました。皆様にもお裾分け。

先日、新潟県知事の泉川氏より義援金のお礼状が会に届いておりました事ご報告させて戴きます。台風、地震、そしてこの冬の19年ぶりの寒波と続き、大変な状況です。四月には、新潟から、学ぶ会の方達と一緒に気光発信をしたいと思っております。今、自分に出来ることは静かに動くこと。心を込めて、気を込めて発信したいと思っています。

二、三日前の新聞に、埼玉だったと思うのですが、遠隔ヒーリングやヒーリング水の事で詐欺まがいのことをして逮捕されたとのニュースを読み、「またかぁ!」と本当に情けない気持ち、残念な気持ちで一杯になった。
私も気光を学んでいる者として無視は出来ない。今までにこのような事件はあった。しかし、もういい加減、分かるだろう?見極められるだろう!と言いたい、いささかウンザリ!している。声を大にして言いたい、特異効能を使えても、人の欲を引き出したり、人の欲に、期待に使うことは決してないということ。
私は、気光の可能性として遠隔も気光水も気光鍼でも行うことはある。でもそれはあくまで気光を学ぶ人達の可能性の追求としての証明であり、メッセージにしても「長嶋さんは言わなくてもわかると思うけど・・・」とよく言われるが、私は、不必要なメッセージは戴くつもりはないし、伝えるつもりもない。どんなに慎重に言葉を選んで説明していても過大な期待をもたれる。
先日、ある人が「そんな遠い所から気光って届くんですか?」と聞かれた。それは確かに、以前、気光が出始めの私は、そんなに遠く出来なかったのだから、その頃を知る彼女からしてみればそうだろうと思う、彼女は変わっていない、気光の波長(影響)が伸びているのだから・・・。鍼しかり、以前は遠隔では不可能だった。でも今はすべてOK。
でもこれって、可能性を現すことは気光を理解することとは結びつかない、ということがよくわかった。気光って当たり前の世界なんですよ。一足飛びになーんて、気持ちはわかるけどナイナイ。気光的って自分の本来のあり様に近づいていくこと、そしてそのことは、周りの人にとっても幸せなことであること、自分の矛盾に気づいていくこと、自分の無理に気づいていくこと、一番自分らしい場所、状態を心から理解し、受け入れられていくことなのです。地味、地味!!でも確実、堅実。
気光は自分の感性を完成に向けて探求していく作業なのです。自分の思いを外したら、気光は感じられるんだけどな。
2005.2 長嶋

自悠空間便り・18
一面の銀世界の幕開けとなりました2005年!とても静かなお正月を過ごすことができました。年末に、1985年12月、万里の長城で戴いたメッセージを再度、確認すべく真冬の北京に行ってきました。26日、またしても揺れを感じる。一昨年の春から、ずっと感じつづけている揺れとても気になる。
「祈り」の発信前、私は気光に関して、積極的に受けたメッセージを伝えようとか、全面に立って何かをしていこうとか、どちらかといえば、受け身の姿勢だったように思う。また、あまり不安材料や起こって欲しくないことは口にしたくない、という気持ちの方が強かった。
言葉にすることで実現させてしまうこともよくわかっているので、本当にメッセージに関しては、相手や言葉を選ぶこと、正しく伝えるということに少し、ナーバスになっていたかもしれないと思う。
しかし、この所の自分の内部の感覚はかなり、覚めて(醒めて)明確だ。結果が出てきていることをかなり醒めて観ている。この数ヶ月、只、観ること、感じること、祈ることを時間の許す限りしてきた。「祈り」の発信も決めた。世界的な異常現象、どう危機管理、危機を察知することを不要な不安を与えることなく、対応していくことができるのか?
年末、一つの言葉に出会った!

心清事達!!

気光的であることは、自分の中の矛盾を少なくしていくこと
自分の中にある、正しく判断している、良心の感覚を表面化すること

「心清事達!」今の自分を支えている言葉だ。
この所、忙しさは以前の比ではないが、使うべき所に時間と心がはまっていることは確かだと思えているので、とても精神的には楽だ。人の人生は、何かをなし遂げるには短い、自分は行きたいと思う方向、目指していること、ありたいと思う状態があるので、集中したいと思う。無駄をしたくないそんな思いがとても強くなっている。
自分の感覚に添って、より柔軟に行動していく一年にしようと思っている。

雪景色
雪景色1
滝と太陽
雪景色2
万里の長城
万里の長城
2005.1 長嶋

自悠空間便り・17
今年もあと僅か、何かと気忙しくなって参りました。
一年を振り返る時、いろいろな出来事が脳裏を過ります。復興ままならぬ被災地の状況を見る度、暖かい冬であって欲しいと願うばかりです。

’93年「気光」の勉強会を新潟から始め、今年の11月、第一回目の「祈り」の気光発信も新潟の災害を機に表だった発信を致しました。新潟は以前、事務所を置いていた場所であり、サロンとして「自悠空間の店」を開いていた場所でもあります。
何故、新潟なのか?深く受け止めています。最近ようやく自分が住んでいた場所の意味、関連性、縁というものの重みを感じています。そして、すべては自然と納得です。自分は望んだように自己実現していると納得しています。そして、きっとこのHPを読んでくださっている皆様も自己実現しているのです。
源の意識というのは本心で願ったことしか受け入れられない、届かないのです。静に内観してみると、きっと理解できると思います。人間というのは勝手なもので、自分の願ったことなのだけど、都合のいい願いしか受け入れようとしていないのですね。
埼玉のHさんが「人間て傲慢・謙虚・感謝を行きつ戻りつしている」と話されていたが、本当にそうだ!と思う。とまぁ、自分の事はグーンと天井裏まで上げてのことですが。
妙な楽観性も悲観性も根拠は?何じゃ?と思う。自分のことで目一杯は分かるが、自分で一杯、どれほど人に犠牲を強いていたり、礼をかくことをしているのか?心が及ばない。いつも自分のことしかない、考えていない。様々な事件、有り様、しっかり考えたい!誤魔化さない生き方したいな!

TVやPCの普及で情報が、動かなくても入り、知るチャンスも増えてきた。
しかし、情報量=智慧ではない。「知っている」「分かっている」「しようと思えば出来る」こんな言葉をよく耳にするけれど、知識がたくさんあることと、理解をしていること、智慧があることは違うと思う。
むしろ頭が邪魔をしていることがある。この頭は、「いい頭、頭がいい」という意味ではない、自分を大きく膨らませている、膨らませてしまう、現実と自分とのギャップを作っている頭である。以前友人のAさんが「私、活字が好きだと思っていたけど、実は、そうではないと気づいた。人から知らないと思われたくない、バカだと思われたくない自分、プライドが読んでいた」と。そういえば、物凄く、本を読んでいた頃の自分を思い出した。
頭と体は軽い方がいい!
言語の明快(解)さ、回転の速さ、積極性や機敏性、柔軟・単純明解。打てば響く空洞がいいかも。今年は除夜の鐘の変わりに、自分の頭をゴーンと、叩いてみるかな?

来年は「あまり使いたくないな、忙しいという言葉」
より集中!一面突破は全面突破!
流れに添って、添って本流を生きます

裏匹見峡
裏匹見峡
滝と太陽
滝と太陽
春日山木漏れ日
春日山木漏れ日
2004.12 長嶋

自悠空間便り・16
紅葉も終わり、ソロソロ冬支度の始まった匹見です。
先日、縞(嶋)梅軍団は、中国の蘇州の会社に「話梅」乾燥梅の作り方を学びに行ってきました。こんなに手間が掛かっているとは!美味しいはずですね。
梅作りと相まって、本当に、久々にいい人達と出会った、そんな嬉しさがありました。詳しいことは次回の通信で。
今回は、風景をお届け致します。

11/3日の気光発信に関して、たくさんの方から感想メール、FAX、お手紙戴きました。
広島のOさん「とても静かな状態を感じました。こんな気持ちで暮らしていけばいいのですね」
奈良のMさん「初め、先日廻ったお寺や神社が頭をよぎり、そして両手の平に何か物が置かれた重みを感じました。今もその手は温かいです」
同じく奈良のSさんは「円柱形の中に自分が入り、そのまま上に上がっていき、発信の間中、頭をギュッと掴まれたまま円柱形の中に入っていたイメージでした」
同じような感想はYさん「円錐形の形に自分は包まれ、その中で静かに座っていました。何も思わず、何も考えていなかったようです、気がついたら11時でした。とても心静かな時間を過ごしました」
Kさんは「聖の祈りの状態って、こんなに静かで、平安で、心が動いていないのですね。この状態なら腹も立たない」と感慨深い様子でした。
神戸のAさん「普段の自分がいかに、頭や心をグルグル動かし、セカセカザワザワと生きているか実感・体感しました。今まで、自分は、こういう平安を求めて宗教巡りをしてきたのに今まで、一体何を求め、してきたのだろう?とちょっと落ち込んでいます」
今回の気光発信は、今までの心身調整の発信とは全く違うものです。しかし、結果として、気がついたら、体も整っていたという方も随分いらしたようです。心身の使い方からくる症状でしたら、好転すると思います。

今回、蘇州に出掛け、会社社長始め、この会社の人間関係からとても学ばせて貰った。改めて人の器やそれを理解し、助けている家族関係にも感動した。
足下がしっかりしている。理解出来る器の家族、随分、辛苦を味わった人と感じた社長の器の大きさ、いい人と出会えた。
いい人と思われようとするいい人。
でも打算や計算・自己保護の自分がある内は、結果として煩わしいことを引き寄せてしまうし、人をも巻き込んでしまう。
今回の発信「祈り」に対しても、とらえ方は色々だったようです。
発信を始め、最初の5〜6分、人のそれぞれに発する思いが邪魔をして、それをゼロにするのに時間を要してしまった。みんなそれぞれ「愛・平和・祈り」の概念や思いはある、しかし、それはその人の概念であり、思い、解釈であって天(聖)の願う、望むものとは、少し、きっとズレているのだろう。
真にこの心「愛・平和・平等・祈り」を理解し、実践していたなら、様々な問題はいい方向に向かうだろう。自我に気付くこと。自分の、自分はの思いや感覚、もう一度見つめ、確かめる時なのだと思う。
ただ、感じればいいのだと思う。天(聖)の祈りとは・・・・を。祈りの状態を。
意図を外すこと。
自分は人がいい・・・でもそれは、人がいい人と思われたいという思い。
自分は分かっていると思う・・・だから感じたら直ぐ言葉になる、言葉が多くなってしまう。もっと静かに、無心に、一心に動けないものか?
講釈、ウンチクはいらない、大義名分もいらない。匹見に静かに籠もる!

梅の帽子
梅の帽子
調味中の梅
調味中の梅ポリの中で
蘇州風景
蘇州風景
長嶋記

自悠空間便り・15
秋風を感じる頃となりました。野山も少し少し、秋色に変化し始めて紅葉が楽しみな季節ですね
この頃、「聖のメッセージ」について、聞かれることが多くなりました。
今まで、私自身もいろんな形、いろんな場所で、皆様にお伝えする個々のものとは別に、たくさんのメッセージを戴いております。
今まで、私はあまりこういったメッセージをおおっぴらに紹介したことはありませんでしたが、人の意識が問われている今、また、一人一人が自分の意識のあり様に気づき、自我の追求(個の意識のみ)だけでなく、天意(全体の中の私・大いなる存在)に気づき感じることの必要な今、少し、HPを通してご紹介したいと思っています。

今年の五月、旅行の途中、偶然立ち寄った「川崎大師の境内でのメッセージ」です。
「・・・秀蕊気光にとって水はとても意味を持ちます。気光水は、人の心身を潤し、浄化致します。・・・・たくさんの人が気光を求めていますが、法というものを理解している人は少ないです。法がないということは、法を理解していないということは、結果として、礼儀がなかったり、身勝手だったり、自己中心的だったりという行動・言動となるのです。
・・・・是は是、非は非。明確な基準が必要です。
法と律を学ぶ事で、人は本来持っている「力」を表面に出すことが出来るのです。そして、人の為にということも考えることが出来るのです。
人は、この法と律を行っている人を求めています。法と律で導いてくれる人を求めています。しかし、そういう人はとても少ない。真実を語る人、求める人はたくさんいます。でも真実を行っている人は少ない。
・・・情は大切ですが流されてはいけません。愛の心は大切です。でも感情に流されてはいけません。理性が必要です。理屈はいりません。・・・大切なことは真理に添うことです。真実を行うことです。・・・」
少しでも聖の真意・希望を伝えることが出来れば嬉しいです。

子供の頃、あまり丈夫な方ではなかったこともあり、十代のころから「養生(心・身・神)之道」を求めて来た気がします。私は、あまり物に対しては「何が欲しい」とか、こういう状態でないと・・とかはない。ただ、自分の中にある「記憶」というか、感覚がなんなのか?をずっと追い求めてきた様におもう。最近、自分の内部の記憶・感覚と現実がとても近く、ある時は同時に、時差がなくなっていることに気づき、実感している。
内観や瞑想を続けること、結局は、この自分の中にある記憶を掘り下げ、確認していくことかな?答えは自分の中にあるのに、新たなものを求めて、ウロウロしているのかもしれない。ある人は言う「人生いろいろあるから・・、学ぶためにあるんだから」確かに!!しかし、もっと心、素直に自分を観れたとしたら、傷少ない人生、人をも傷付けることの少ない人生を歩めるんでは??経験主義、体感主義でない、もっと大きな智慧に耳を傾けていく、素直な生き方あるんじゃないのかな??

本来、天意に添った生活・生き方というものは、意識とあり様は離れていないものだと思う。とても単純明解なものだと思っている。なのにどうして、たくさんの理由付け、大儀名分がいるのか?頭と心、精神が分離するほど考えて、自分を縛って、苦しめ、苛めている。
先日、友人と久々に会ってこんな話をしていると、「学生時代から同じやなぁ」なんて笑われた。考えてみれば、ホント、友人の言う通り、自分の人生に迷いようがない、自分の求めているのは、とても単純なこと、これしか求めていないものなぁ〜と自分で笑ってしまう。

敷地内風景
敷地内風景
長嶋記

自悠空間便り・14
朝夕、秋風を感じるこの頃です。
先週末、稲刈りが終わりました。聞く所によると、「黄金色の・・米」という、豊作で、とてもいいお米だったそうです。それでは、とパチリ記念撮影!
雨上がりの雲海。曼珠沙華が緑に映え、とても綺麗です。
この所、講習の合間に、親戚や友人・知人とヒーリングスペースに遊びに来て下さり、お蔭で、私たちも一緒に旅行をしたり、楽しませて貰っています。
久々に、友人達と匹見峡散策致しました。二十五年ぶりに訪れ、匹見の変化に驚いたり、また、手つかずの匹見に感動したり・・・満喫して戴けたことがとても嬉しかったです。

八月の初め、HPのアクセス数が一万件を越えた!!と友人から連絡があり、あわてて開いてみるとホント!!凄ーい。一ヶ月に千二百人の方達が見て下さっているという計算なのです。感激です。ありがとうございます!
と感謝の後は、お詫びです。
この所、メッセージの依頼が多く、少々お届け迄にお時間(一週間以内には)を戴いておりますこと、お詫び申し上げます。また、年内のミニ合宿の申し込みも締め切らせて戴きましたこと、ご連絡させて戴きます。
2000年からの合宿から、ミニ合宿と、少々形を変えていく時に来たようです。気光水(聖水)も随分たくさんの方に知られる所となってきました。気光水のあり方も少し、考える必要が出てきたようです。
最近、気光の可能性の出し方というか、あり方に、真に気光を理解して戴くためにも一考が必要と思っています。来年度は「秀蕊気光内観所」として、秀蕊の方針をより明確にしたいと思っています。気光は単なる病気直しではない!もっと根源に触れるもの、人の意識に働き掛ける物です。
化粧品で言うと試供品、試供期間はもう十分ではないかな??みんなが問われているのですよね、それぞれの中の気・光を信じることが出来るかどうか?
気光を表に出して、十年!もう関わりで答えは出ていると思う。真に気光を求める人だけでいいと思う。聖の本気を感じている今、私も本気で答えたいと思っています。
今年は、本当にたくさんの後押しを戴いた年です。一つの後押しに深く確認し、また、一つの後押しに聖の心を理解・実現を願う気持ちが強くなり、また、一つの後押しに、自分の中の信が固まっています。

大きな縁、深い縁を感じている秋です。

匹見散策
匹見散策
秋空
秋空
実り
実り
曼珠沙華
曼珠沙華
長嶋記

自悠空間便り・13
今年は、台風の影響や浅間山の噴火と「水火のたたかい冲(戦い)」という大変な年になってしまいました。自然からの警告に、耳を傾けなければいけないと、心しております。
8月30日、18時頃、台風が最も中国地方接近というニュースにあまり雨風も強くなかったので、フト、匹見峡はどうなっているのか?と行ってみましたら、吹き上げるような濁流と飲み込まれそうな流れに、いつもの静かな匹見峡とは思えない勢いでした。
しかし、何か、先日来から感じている「気配」に向き合ってみたくなり、暫く、瞑想してみました。翌朝再び行ってみるともう、水位も下がり、水も澄みはじめていました。あの昨夜のエネルギーはどこへ行ったのか?妙な感動とエネルギーの流れを深く感じました。

 うねり、巻き込み、吹き上げるような濁流から清流へ。
 今、自分に必要な確認を戴いた気がします。
 いつもテーマとしてきたこと、いつも自分の支えにしていること。
 気光の根底、秀蕊の伝えたいこと。


全脳思考!全身思考!全力投球!!

もっと自分の伝えたいこと、伝えたい人に、必要な場所、必要な人に伝えていく動きをしなければ・・・
この三年のミニ合宿、ヒーリングスペースのあり方から、活動を通して、気光の確認も随分させてもらった
。今回の気配は、自分の奥のドアを強烈にノックしてくれた気がします。
龍のような流れ
まるで龍のような流れ
長嶋記

自悠空間便り・12
廣田遙ちゃん、七位入賞!!

オリンピック・種目トランポリンで、とても落ち着いた表情で、爽やかな演技でした。演技の終わった後の笑顔がとても印象的でした。遙ちゃんのお陰で、オリンピックがとても近くに感じられ、とても楽しみでした。こんな大きな大会で、力を出し切れる遙ちゃん、凄い!!
心からおめでとう!そして、お疲れさま。

自悠空間に熊出現!!

何と、I号館前の桃を食べていたとのこと。あいにくと言いますか、ラッキーというか、私は不在だったのですが、滞在中のジンジャーI号・II号が、熊と目があったとのことです。熊が出た!と騒いでいた割には、熊の逃げていく写真を撮っていたりメールで知らせてきたり、桃の味見をしたりと大騒ぎでした。
日頃、忙しさに熊の手でも借りたいよ、なんて、冗談言っていたら、ホントになってしまいました。それにしても最近、昼間から熊出現しているようです。

睡蓮1
睡蓮の花1
1
睡蓮2
睡蓮の花2
1
レンジャー彩や
草刈りレンジャー
彩や
葉生姜
葉生姜食べ頃
1

蒸し暑さをとても感じた夏でしたが、お陰様で夏バテもせず、過ごしております。この夏は、お休みなしでしたが、9月一段落をした所で、ゆっくり夏休みを!と考えております。

先日遊びに来られた大阪の慶子さんから、歌届きました。慶子さんの短歌はホッとするので好きです。蔵の瞑想室にも、中国旅行をしたときの短歌が飾ってありますよ。
《匹見》
 仙人が住むかのごとく匹見峡切り立つ岩と巨木がつづく
 草むらの歌碑を読みつつ山道を登れば養戸の滝に着きたり
 深く息を吸って吐いて根を下ろし山居のひとになりて老いたし
 石見の地あるいて気づく古のひとはいまでも近く居るのを
 山井に湧き出る水を飲むごとに体は軽くひたひた満ちる
長嶋記

自悠空間便り・11
新潟・福井・福島 集中豪雨で被害にあわれました皆様に
心よりお見舞い申し上げます。


ここ数年、天候不順ということは言われてきていますが、何だか、この夏はとても暑く、また、台風なども例年より多く、早い気がしております。
大気・元気・景気・人の気のあり様・・・すべてに天からの問い掛けを戴いている感じが致します。
今回の集中豪雨の映像がTVから放映される度に、心が痛みます。
私が、新潟との関わりが長く、深いということもあり、たくさんの問い合わせや会で何かできることはないか?とのメール・電話・FAXなどたくさん戴きました。
私も直ぐに、連絡を取り、先ずは、状況の問い合わせを致しました。この時、有り難いと思ったのは、個々に問い合わせると対応に皆様の手を煩わせてしまいますが、同好会の方に問い合わせる事で皆様の状況がすぐに把握出来たということです。
新潟の同好会の有志の方が、家族とともに現地でのボランティアにも参加して下さったりと、とても嬉しかったです。こんな時、一番必要なのは「人の手」なのだと思うのです。

今回は、三県に被害がでており、「秀蕊気光研究会」として、県の被害対策本部へ義援金の形で協力させて戴きました。
協力を申し出て下さった方、HPを通してお伝えさせて戴きます。

新潟の会の方からも、皆様の協力の気持ちに対してどうお礼を伝えれば?との問い合わせも戴いておりますが、「お互い様」ですので、今は、そういうことに気や時間を使われるのではなく、復興に向けて「力」を集めて戴けますよう願っております。

心より、一日も早い復興をお祈り致します。
長嶋記

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