自悠 空間便り・
1〜10
11〜20
21〜30
31〜40
41〜50
51〜60
61〜70
71〜80
81〜100
101〜110
111〜125
126〜135
136〜155
156〜170
171〜180
181〜200
201〜220
自悠空間便り・60
先日、自分の命式(生年月日を干支に置き換えたもの)を久しぶりに出してみた。仕事柄、人の命式を観ることはあっても、自分の命式を見るこはほとんどない。新たな気づきがあり、結構面白いと思った。というのも今年に入って、人ととても出会っている。その人達は私に確認させてくれたり、新たなヒントというか、保留のパズルの駒を届けてくれる人であったり、今までもこういう出会いはあったけど、人から学ぶ年?これは、大きなギャーチェンジでなく、ゴーサインなのです。
最近、自分の人生の中でであった「度人」のことを思う。
人生の出会いの中には、いろんな出会い方があるけれど、自分の魂ごと引き上げ、根本に影響を与えてくれる人との出会いはそんなにあるものではない。変化のきっかけを与えてくれるという出会いは比較的あるけれど。また、限定の使者もあり、ある方向づけと気づきのために現れてくれる出会いもある。
自分は、人生の大きな節目に度人に出会い、助けられた。生きる根本を導き、示して貰ったことが今でも「人への信」の根本にある。先日、友人が「自分は特に問題なくというか、人間関係には恵まれてきたと思うけど、貴方の言う度人には出会っていないと思う、もしかしたら、自分は理想を求めていて、人を求めてこなかったのかなぁ」なんて話していた。
自分は、人生の中で、体験できること、それが一見煩わしいと思えることであっても、自分の生きていく道にあるものは、きっちりと体験を積み重ねていきたいと思っている。現実という横軸をしっかり生きたいと思っている。現実を踏まえた中で、自分の精神という縦軸を充実させて生きたいと思っている。
命式は初心の自分を思い出させ、確認させてくれる。何が幸せかというと、信じられる人が自分の人生にいるということ、それを感じて生きているということだと思っている。縁のあり方を考えていきたい・・・・ですね。
学びのためだけの出会い、失ってもいいもの、失ってはいけないもの。
大切なものはなんですか?自分に問いかけて生きること!!
気の光を求め続けます。
聖道(ひじりどう) 一直線!! ひた走り!!
2007.6.9 長嶋記
自悠空間便り・59
ここ数日、蒸し暑い日々が続いておりましたが、昨日は久々の恵みの雨!緑がいっそう映えて、気持ちまで潤いを戴きました。
この所、自悠空間を訪れてくださる方達の幅もいろいろ。この春は、親子、家族月間でした。初めて参加という飛び込み型から、何年も前から条件の整うのを待って参加して下さったという方達。常連様。同じ現象はメッセージにもあり、十年位ぶりの方、よく覚えていてくださっていたものだと思います。それが何人も続くと、これは一つの現象か?と、理解しています。
もう一つの傾向で、この自悠空間で誕生日を迎えたい!!と参加してくださる方が多くなってきています。既に、今年になって何組かがいらっしゃり、たくさんの場と大切な時間の選択の中で、この自悠空間でのスタートを選んでくださったことは、本当に嬉しいです。
以前、ホスピスに入られることの決まった方が、生涯をともにしたい「最後の三冊」の本に「人生の宿題」を選んでくださったことをお聞きし、感動したことを覚えています。「中心」に響くことを積み重ねていきたいと思います。
内観のテーマ・呼吸のリズムと呼吸のあり方・心身の声(あり様)は一致していると感じています。今年から、ミニ合宿に来られる方に事前に、自分なりのミニ合宿課題を作り、お渡ししている。これは自分の新たな気光Upへのチャレンジです。来られてから、いろいろお話していると「集約するとこのテーマ」と内観・呼吸・調整の三位が一つになるより、整理しやすい、自宅での自習のやりやすい形に・・・と願っている。
よく、内観でも、呼吸でも出来ないと何年もいい続けている人がいるが、大きな目的を忘れている。大概、そういう人は、自己解釈をしている。自己流をしていて前に進むわけがない。
私は「時間」という観念に対してもの凄くこだわりがある。多分、自分の受けてきた教育が大きいと思う。充実させるために、時間を有効に!子供の頃、父から頭にメモを書くこと、仕事の流れを徹底的に教育を受けてきた。あまりの合理性は、時に身勝手な行動になってしまうが、無駄の無い動きはしたいと思う。また、私は、徹底した時間を予約している。それは、きっちりと人と向き合いたいと思うし、「ちょっと、チョット」なんてタッチみたいな時間の考え方は気持ちがざわざわして好きではない。
自分は、この人生で、やりたいことがある。だから一直線に、生活の時間の使い方を選んでいきたいと思っている。
2007.5.26 長嶋
ブルーベリー
牡丹
華
自悠空間便り・58
爽やかな季節です。移動の途中、何度もシャッターチャンス!!と思える季節の移り変わりを楽しみながら、変化の風を確実に感じています。
連休の賑やかだったヒーリングスペースがようやく本来の静かな空間に戻り、新たに忙しい時期を迎えています。
この連休は、心身の、特に体の調整の出来る石「寝石」が陰陽マークに入りました。座石や鏡石、予想以上の石、予想外の石が到着し、感動いたしました。こういう石をここに!と長い間探していましたが、なかなか出逢わず、場を整え続ける中で、次の場へと繋がっていく偶然の重なった素敵な後押しのプレゼントを戴きました。こうして秀蕊の気光を実現していく一つの形が、場が整っていくのだと改めて深く感じました。たくさんの方達の力で二日の予定の作業が半日で済み、本当にみんなで力を合わせて設置できた、いい時間でした。
新潟からNさん一家が今年も遊びに来てくれました。一気に若返ったエネルギーが溢れていました。お天気にも恵まれ、連休後半は、遊びモードに切り替え、みんなで山や海、川と遊びに遊んだりのゴールデンウィークでした。この所、遊びから仕事へのギアチェンジが早く、忙しいのですが、絶えず頭も体も動き続けているな!!という感じです。聖の言う尋常でない!!という言葉を日々実感の毎日です。そろそろヒーリングスペースのあり方も大きく変えていい時が来たように思っている。難題、解決、保留すべて同時進行、チャレンジの日々です。
昨年から「表現を考える」ということを気光的にテーマとしているが、先入観や思い込み無く聴くことや自分の感情を入れずに相手に必要なことをきっちり伝える、伝わる表現がいかに難しいか?ということを予想外に問題としてあるな、感じている。確認をしたり、頼まれたことをそのまますれば何の問題も無いことをどうして複雑にしてしまうのか?その人の思考と行動パターンに課題あるな。人間関係のトラブルの基本はここだなと感じたり、眼にする場面がある。
今、表現を考えることは、気光的にね、とてもタイムリーなことと感じている。そろそろ外に向かっている顔を、内側の声に向ける時かな?真実から離れた、反れた選択は、必ず、戻る。取り返しの、原点還りの時間が何倍も要ります。外をどんなに整えても飾っても心は虚しい、満たされないでしょうね。
どんな時代でも、どんな時も内部の充実、等身大が確実かな!!
2007.5.18 長嶋記
自悠空間便り・57
春ですね。今、自悠空間は、紅白のしだれ桃が満開!!芝桜もまるで絨毯を敷き詰めたように鮮やかです。
ミニ合宿が始まり、同時スタートの合宿も有りますが、来られる日にちや目的もまちまち。でも、何故か、ご一緒した人は、その時々、同じ課題や共通の話題があるという・・・不思議!と参加される方は言われます。ですから、みんなの話を聞くことで、自分の内観の補足や確認をし、気づきが新たに出来るという効果もあります。話す人も人に話すことで、自分の矛盾もこだわりも、整理出来るようですね。ただ、あまり話すことにばかり意識が向かうと内観は深まりませんが・・・・
ヒーリングスペースは、静かな安定した生活環境・ご一緒するメンバーの微妙な日程調整という環境づくり、自然の素材・体質を考慮しての食事や体調整、そしてその人の目的に添う、必要な講習!このすべてを通して「気づく・心や体の声を聴く、聴ける状況作り」を中心に置いています。
「健康」をどうとらえるのか?考えるのか?自分がずっとテーマとしてきたことは、この点です。健康を考えることは、生き方を考えることだと!!どういう健康観、人生観をその人が持っているのか?それがその人の健康法であり、選択療法でしょう。養生法でしょう。
最近つくづく思うこと、痛感していること、もっと大人の心を持っている人が欲しいなぁ。人をどっしり受け止め、話を聴いてあげられる大人、自分のこと、自分の快適さばかり求めるのでなく、「働く、端楽(はたらく)の意味」端の人を楽に、楽しくしてあげられる、荷を背負える力(体力・気力)を考える必要あるんじゃないかなぁ?健康の意味を考えること、自分がずっと伝えたかったこと、伝えてきたこと。
2007.4.12 長嶋記
芝桜
しだれ紅白桃
合掌
自悠空間便り・56
今、自悠空間はレンギョウの花が満開です。桜の開花も間近!春ですね。
今年の春の訪れはゆっくり、ゆっくり・・・
よく三月は去る・・なんて言われますが、あっという間に四月です。自悠空間も四月から本格的にOPEN致します。
各地の講習会でも、今年は内観に力を入れています。通信内観のレポートからもようやくみんなの意識の中に「内観」が根付き、その必要性を理解し、内観の気づきの世界と現実の気づきや問題解決とがかなりリンクしてきた、いい内観になってきていると嬉しく感じています。以前から、ある時期がきたら、一般の横並びの気光の講習から個々の気光へ向けていくことをお話していましたが、まさに今が、その時期だと思っています。
先日、会社経営をしている友人から「今、一番何が必要と思う?」と聞かれた時、「内部の智慧の活用できること、バランスの存在とコンタクトが取れること」そして、心身の健康法を持っていること!!即答です。学び続ける心、大切ですね!
始める理由と辞める理由は同じだと思う。
何かを学ぶ時、髄と身は一対、一体と思う。だから、秀蕊の気光にも芯となる心が、哲学はあるし、それに基づいた体作り、心の修練方法がある。また、心身の調整法も養生法も独自のものがある。だから、遠隔だけとか、気光水だけとか、調整だけとか、それは一部であって気光を理解していることではない。頭からしっぽ、骨の髄、蕊まで一体のものだということです。
その人の求めるものが関わり方!ですね。
「自分が生まれる時、この世で果たそうと決めてきた人生の宿題をする」「源に繋がる」「意識的に生きる」
自分は「伴走」という言葉が好きだ。 伴走の必要な人、走る意志を持っている人には伴走したい。走りを妨げない、いい距離とリズムで一緒にゴールを目指す。走者がリズムを掴むまで伴走する。自分の目的を持って全力で走る!!いい走りをしたいものです。
2007.3.29 長嶋記
合掌
レンギョウ
菜の花
自悠空間便り・55
大阪の講習会の反応メール、Fax、電話。昨日のHPについての思いなど沢山戴きました。ただ、ちょっと自己解釈してしまっているなあ、と感じるものがあります。辛い状況は早く脱出した方がいいし、いらぬ苦労?本質から外れた、自我の渦の悩みは持たない方がいいと思います。
昨日のHPで言った「秀蕊気光は難しい」というのは、受け手の思いであるということ、秀蕊気光はとてもシンプルな気光です。中心に向かう方法もとても簡単。でも自我意識、自分の本音を隠している、隠そうとしていることに気づいていない人の意識から観れば難しいという話です。
秀蕊気光をそういう自我から求めてくる人に伝えるには、その自我に対しながら、方向をしめしていかなければならず、受け手が自我から抜け出ることに時間が必要となのです。人が理解し、受け入れるのにかかる時間のことです。気光が必要な人、信の必要な人は沢山恩恵を受けたり、周りの人の恩恵を観ているはず。でも、自分の自我の眼を外して向き合っていかないから、また、回り道、中心に向かいたいと思いながら、観ながら、行く方法の手や品という方法ばかり変えるのに時間をかけている。だから、自分の中に信が育たないのです。
自分の本音は全部実現している。悩みは、本音と建前の間に生じます。自我のすべて嫌なら、NOしかないし、はっきりしているしょ。関わらない。縁は生じない。自我はYESとNOが一緒の皿に乗っているから、 おいしいものは食べながら、同じ皿の嫌いなものを排除しようとしているから悩みが生じる。矛盾が生じる。
盛り合わせのフルーツみたいなものです。いいとこどり思考。
明確にすることは、明確なものが集まり、不明確なものは周りからなくなる。それを寂しいと思うと玉虫色になる。しかし、玉虫の本音は分からないから、分からない玉虫が集まるし、また寂しいでしょ。、明確な寂しさと玉虫の寂しさ、貴方はどちらをとりますか?
2007.3.13 長嶋記
自悠空間便り・54
春近し!と思いきや風の強い、粉雪の舞う寒さに戻りましたね。ゆっくりと春の訪れを待ちたいと思います。 先週末、大阪に行ってきました。今回は、二つの講習会で、セルフカウンセリングは、表現することについて、人との関係のあり方を観ていくもの。そして、もう一つは、セルフコントロール。
すべての答えは自分の中にある!本当の自分探しとは?決めて生まれてきた自分の課題、人生の宿題を意識に上げ、実現するための呼吸法・受け止められる体作り、内観(気光の内観です)の具体的方法を学ぶ講習でした。カウンセリングでは、自分のものの観方、対人関係の基本スタイルを確立する12・13歳の春!!の気づき、その気づきの修正内観、意識場での整理に大いに盛り上がりました。沖縄の歌に「19の春」というのが有りますが、まさしく自分の本流から外し、閉じ込めた13の春に戻り、原因に気づいたみんなの笑顔がとても嬉しそうだった。学ぶことは楽しい、自分を本当に解き放していくことなんだと理解してもらいたい。自分の本音、人の本音に先ずは気づくことですね。そして、自分で目的を持って生まれてきているのだから、自分の人生に集中していこう!!卑下も傲慢も見栄も何のため?自分で本音を難しくしないように・・・。
十年ぶり、十数年ぶり、最近、連絡をくださる方が数名あり「あの時、分からなかったけれど、今、必要だと思えてきた。改めて人生の宿題を読んだよ」と言ってくれた人、「受身で、頼っていて自力を出していなかったけど、必死で言われた通りやってみたら、自分にも力が出ることが分かって嬉しかった」と内観レポートを書いてくれた人、「こんな自分に絶望していたけど、やり直せる、生き直せると思えてきた」と何度もリストカットを繰り返してきた子。
先日、ある人から「秀蕊気光って難しいって言われるでしょう、すぐに受け入れてもらえるものでなかったでしょう」と聞かれた。以前、中国の気功画の先生が「ものすごく基礎に時間がかかったね。貴方の意志の花を咲かせるには」とおっしゃった。自我という抵抗があり、抜け出し、理解してもらうには時間がかかる、受け入れの時間が必要だと。「その通りです。だから会のマークは蓮です」。先生曰く「そうでしょうね。初対面の貴方に何故か絵を贈りたいと思い、書くのにこんなに筆を止めながら書いたのも初めてです」と。そして、「でも途中から一気でしたよ」と。後押しを戴いた蓮の画は、蔵の瞑想室にあります。この気光に関して詩や書、メッセージをたくさんの方から戴いた。秀蕊の名前もそうです。一人で模索している時の私に強い、強い後押しをくださった人達のお陰で、長い沈黙の基礎の時期あせることも無く、自分の気光への信を固めていけたと思う。沢山の忍を待つことを学ばせて貰った。今、自由に可能性を表現できる。
気光と同行の人生です。等身大の講習から、内観から一番自分は勉強させてもらっているなあと実感です。
一月からステップ内観が始まり、三期生がスタートしました。四月から、四期生がスタートです。私もみんなと伴走しながら、ステップアプしたいと思っています。ガンバ!!
2007.3.12 長嶋記
自悠空間便り・53
春一番が列島を駆け抜け、今、こちらは梅の花が咲き始めています。暖かい、過ごしやすい冬でした。もう春ですね。
ヒーリングスペースは三月一杯お休みさせて戴き、今年は4月からオープンさせて戴くことに致しました。皆様から、いつから申し込み開始か?との嬉しい督促のお電話、faxを戴き、本当にありがたく感じております。本来の講習やカウンセリング・メッセージという仕事は致しておりますので、完全にお休みというわけではありませんが、それでもこの冬場は、なかなか時間が無くてお会いできなかった方や場所にも出向き、いい時間を過ごさせて戴きました。どうしてもヒーリングスペースでのミニ合宿は、来られる方の時間の制約もあり、また、先ずは心の荷解きのために・・・が最優先致しますので、どうしても密度が濃く、時間的に忙しくなってしまいます。本当は、もっと時間をかけて解きほぐしていきたい!というのが本音ですが、今の所、本来の講習とヒーリングスペースでのミニ合宿の二足草鞋が続きそうです。ただ、今年は体の調整より、内観。そして、セルフコントロール・セルフカウンセリングを真ん中においていきたいと思っています。
私が内観やカウンセリングを通して感じることは、「人はみな本音で生きている」ということです。こう書くと「エエー?」という声が聞こえてきそうですが・・・。本音でしたくなければ、その人は、しないように、出来ない状況を作ることに時間を掛けています。「します・したい」は本音と行動が一致している時、「しなければいけない」は本音と社会の目・立場の間での選択をするでしょう。「させられた・させられている」という思いは、本音とは全く違う状況に受け入れがたいと悩み苦しんでいる言葉。たいていは、「何とか受け入れる理由探しに時間を掛け、あきらめ、受け入れる」というパターンかな?
よく、自分を許すという言葉を聴きますが、傲慢ですね。許すのではなく、そういう本音を持っている自分を認める、受け入れるということです。ただそれだけです。どんなにいいわけで取り繕っても「本音は本音」動きません。その自分を認め、そこから「本来、自分の願っている有り様にどう向かうか?」です。そして、「縁」もどんな縁と結ぶか?どの部分で(たとえば感情の何に引かれるか?)欲、計算、寂しさ、依頼心・・・出てくる答え、縁の結果は??簡単に「縁」という一言で自分の自我を覆うとまた、新たな苦しみを抱えてしまう。
源は、その人のど真ん中の言葉、意識の中心からのメッセージを届け、気づいて欲しいと願っています。人生は、自由裁量。そして、自由選択の答えもすべて自分もち。どんな風に人生の、再生不可能なテープを使うのか?任されています。
今年もヒーリングスペースで一緒に学んでいきたいと思っています。
2007.2.23 長嶋記
自悠空間便り・52
2007年が明けました。
今年も心身の充実した一年でありますようにお祈り致します。
お天気に恵まれた、暖かい、穏やかなお正月を迎えることが出来ました。津和野に初詣に行き、近くのスキー場に行ったり、自悠空間はお休みでしたが、遊びに来られた方々と一緒にログのストーブの側でゆっくりお茶を飲んだり、話したり・・と、本当にのんびりしました。
五日、母と陰陽マークを拭きました。静かな母の晩年に、私がここをヒーリングスペースとして使うことで、忙しい思いをさせているのでは?という思いは、正直私の中にあり、何か、手伝いたい!という母の気持ちには心から感謝していると同時に無理をさせたくないなあ、とも思っている。最近、自分が親から学んだことは「黙々と生きている」という強さです。難しいことを語るでもない、でも本当に体を、手を動かしている。私たち兄弟は、親から疑われた記憶がない!丸ごと信じて、余計な手出しもしないかわり、口出しもしない親だなと、感謝が深くなってきている。だから、私たち兄弟はそれぞれの学び方と生活をしてこられたように思う。親もまた、老後を子供に託した生き方はしていない。
新しい年が始まり、心身息一致した生活だけをしようと思っている。
一昨年から、HS療法を表に出したことで、忙しくしてしまったところがある。ちょっと今年は「本来の気光→心の調整」に力を入れていきたいと思っている、そして、体の調整は個々から、もっと気光的な形へと移行していく時、必要があるように感じている。ミニ合宿も形を見直したい、私自身、いろいろとチャレンジしたい!「気光の感性の完成」に向けてGO!一月二日、私もズシリとメッセージを戴きました。
2007.1.10 長嶋記
自悠空間便り・51
新年好!
新しい年が、皆様にとりまして、穏やかな一年でありますように・・・
暖かい、お天気に恵まれたお正月を向かえることが出来ました。今年は、年末から、いつもと違うお正月を過ごそうと思い、新たなチャレンジを致しました。お陰さまでいいスタートが出来ました。短距離ランナーでなく、長距離タイプの人間ですから、今年も自分の走りを、走り続けます。
今年の年賀のテーマは「自覚」。
戴いている「気光文字」に息吹を!!
2007.1.1 長嶋記
しめ縄
秀蕊の芯
雪中花
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