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自悠空間便り・70
 ゆっくりとした秋の訪れを感じています。ここ数日、秋晴れ?の爽やかなお天気模様です。自然美というのは、意図がないからいいんだなぁ。
 先日、三段滝・二段滝と歩いてきました。この滝はとてもバランスのいい滝で、二段滝は秘境です。船に乗ってしかいけない場所、カメラではなかなかお伝えできないので残念ですが、チャンスがあったら来、来!ご案内したい場所の一つです。みんな大喜びでした。
 自然の中で感じることは、人の「安心」の場所って小さいな!と思う。大安心を目指していない、求めていない、誰かに預けて、預ける場所に自分には安心があると錯覚している。自分に対して、自分の感性に対して敏感ではない、自分の本心に気づこうとしていない、観ていない、聴かない、考えようとしていない。その人が問題にしているのは、苦しんでいるのは、自分の自我を押さえるものや自我をたたかれるものに対してだけ敏感反応。本心には敏感ではない。自分が本当にしがみついているもの、価値観の見直しや気付きが必要なんだな、と感じる。
 「内観」ということを気光の中心に据えていること、心身息の三位で向き合うことは当初からの自分の変わらない気持ちです。世間でいろんな宗教の問題やエネルギーに関する問題があり、珍道中のタイトルではないけれど「いい加減にせんかい!」と思う時がある。ヒーリング水のこと、気光玉のこと、エネルギーチャージ、私の思うにそれは気光的には本当にあると思う。でも中身は?エネルギーの質はどうか?はいろいろ。見極めがいると思う。問題が起こっているということは中身に?があるのでしょう。こんなことは論じたくもない!と思うが、「人の欲」から起こることだから関わりたくもないし、自分の意識にも入れたくもない!でも、エネルギーの違いを伝えることが、秀蕊の一つの使命ではありますので無視するわけにはいかないでしょう。自分は、気光水を作るし、気光玉も調整するし、どんな磁場にもエネルギー誘導できる気光力をお借りして、エネルギーチャージも調整も内観・メッセージも伝えます。正しく使う自分でありたい、あらねばいけないとは日々願っているし、精進したいと思っている。
 自然を求めて、癒されたいと、人は自然の中にやってくる。でも其の自然を守ろうとか自然の循環を意識的に行う人は少ないかな・・・・自分の松明(たいまつ)を燃やすことだけ、燃えていたらいいと考えている間は、「欲」に絡むかな?
 自然は本当にたくさんのメッセージを届けてくれます。自分に素直に気づこうとする自分でありたい!気づける環境を大切にしたいと日々思います。
                                                     2007.10.24  長嶋記



自悠空間便り・69
 暑かった夏も終わり、庭の金木犀の香りが心地よく、秋の訪れを感じさせてくれます。静かな匹見に戻りつつあります。
 先日、ミニ合宿で来られていた方達と聖湖・聖山あたりを散策してきました。いくつかの滝もあり、歩きやすい、とても気持ちの良い場所です。内観をする時、状況に応じていろんな場所、形で行っています。特に、島根のヒーリングスペースでは、まず、スペース内の陰陽マークや瞑想室などの調整した場所での内観。また、恵まれた自然の中での内観や呼吸法。渓谷の中で大声を出してもらったり、普段の講習場所では出来ないことを・・・・と心掛けている。私自身も自分のアンテナ、感覚でこのミニ合宿を行っているので、あくまでも「今、必要な気づき」だけを心に置いている。来られる方の希望は希望として、私なりのスピリチュアル・チャレンジはある。その場、其の時、状況に添った、必ず必要な講習をする!という自分のチャレンジです。
 先日、10年前にカウンセリングをしたという方からお手紙を戴いた。「10年たった今、心からメッセージやカウンセリングの意味が理解でき、受け入れられ、感謝に変わった」と。とても嬉しいお便りです。簡単に受け入れられることはメッセージという文字、何度も読み返し、残る形でなくていいでしょう。受け入れがたいから文字なのです。
 私は、いつも接する時、長いスパンで考える。感謝は今ではない、感謝を期待して話すのは止めようと。必要なことを伝えられることを大切にしたい。年々、自分も感謝の人が増えてきている。意味を理解するには、時間も心の成長もいる。自分がその道を歩いてきているから、よく分かる。自分の人生に何人かの真実の人がいたこと、いることが幸せと思っている。
 毎年、一年一年。来年は考えない。今年の仕事をやりきる。
                                                     2007.10.17  長嶋記
   



自悠空間便り・68
 朝夕、秋風を感じるようになりましたが、まだまだ日中は暑いですね。
大阪の講習会、久々のワークでダンス瞑想や呼吸法をしてみました。思い切り声を出し、動かす!ということの大切さ、日常の生活の中ではエネルギーを出しているようで出し切れていない。どこかでセーブしているのですね。静かな内観や瞑想も必要ですが、時には、自分の枠をこんな形で気づくのも一つかな?と思います。
 気光は、セルフコントロールをテーマにしている。気光の学びを通して、まず自分の自我をコントロールできることを目指します。
 コントロールできないと結果、人の人生を引っ張ってしまいます。
 煩わしいことに自ら関わり、人の欲を引き出し、引き寄せてしまう。煩わしいと感じ、相手の欲を感じていても手放せない時、自分の欲がその手放せないものの中にある。自我は守り。自我は自分に甘い!でも自分と同じ自我を持つものには手厳しい!攻撃的になる。自我を通すと争いになる。自我を手放すとスムーズに和に向かう。環境の中で、思い通りにならないこと、自分の努力や頑張りでどうにもならないと思う時、その部分にその人の課題は、気づきの必要内容はある。自我は苦しいと思う。自我は傷つきやすい、なぜなら答えを自分で決めているから。
 自分を高いところにおいているから、そうでない評価に傷ついてしまう。思い通りにしたいのが自我だから。
 自我は自分に対する不利益に敏感だ!でも人の不利益には無関心。自我は自分にしか関心が無い。
 人は、苦しさを通して自分を振り返り、観ることが始まる。苦がなければ、苦が真実を求める心を思い出させてくれる。苦がなくても真実を求められたらもっといい!苦の中で、謙虚と感謝を学び、苦を過ぎて傲慢になる。
 人生の出会いの中で、本物だな!と思っている人々がいる。一度も自分の中に?が起きないことが嬉しい!意識に影響を受けていることに感謝している。
 互する関係は大切ですね。でも余り求めると重くなる。爽やかな心を学びたいですね。涼しげな秋風がいいかな!!
                                                       2007.9.13 長嶋記
        



自悠空間便り・67
 残暑お見舞い申し上げます。
幾分凌ぎやすくなったとはいえ、まだまだ暑さの残る日が続いております。くれぐれもご自愛くださいね。
 年々、夏休みや春休みに家族で自悠空間を訪れてくださる方達が増え、独身時代から気光を学んでいた子(?)達が結婚し、子供が出来、そして家族と共に関わりを続けてくださること、本当に嬉しく思っています。三世代という方も多く、名付けなどもたくさんさせて戴いています。
 昨日、今年還暦を迎える方達の「イノコ会」を致しました。とても楽しい、大はしゃぎの時間でした。
毎年の誕生日はもちろんですが、還暦というのは、その人の人生の節目、やはりこういう記念の行事は大切にしたいと思います。
 人は、人生の中である時代、とても大きなギアチェンジをする、しなくてはいけない年があると言われています。人生のバランスに必要な転換期なのです。知ってする人、知らないでさせられる人、いろいろです。でも出来ることなら、意識的に人生を歩みたい、歩んで頂きたいと願っている。人生の節目に、さりげなく、ご一緒できること、困難の時、関われる意味、この自悠空間を通して、内観合宿は自分に本当に「人」を「自分を生きること」「人生の深い宿題」を考えさせ、学ばせて貰っているのだと、感じています。
 自分は今、本当に「秀蕊の内観」を深めたいと願っている。自分の感性の声が響いている。数年のミニ合宿は大変であったけど、自分の芯・眞・信を私に問いかけてくれたと感じています。
 実りの秋は間近ですね。
                                                       2007.8.25 長嶋記
   



自悠空間便り・66
 昨日は40度を越えた地域があるというニュースにビックリです。暑い夏です。
 自悠空間に夏休みで来られたお客様と一緒に出掛け、すっかり日焼けしました。先日、萩、秋芳と廻って来ました。山口は好きな場所のひとつです。吉田松陰師の影響のある町です。彼の生きた時代は幕末という大きな時代の変革期ですが、彼の教えは今の時代にも通じる、人としてどう生きるか?を問う根本のものだと感じています。門下生に対して「自分ならどうする?」を考えさせる、「至誠」の道を一貫して説いていた人だと思う。「至誠」はそれ自体が根本であり、本体であり、他のものの助けを待つものではない。誠は人の作ったものでなく、天の自然に存するところの道である。誠はすべての元になるものである。
 最近、ホ・ジュンのビデオを見ながら、登場する師のすばらしさ、懸命に自分に気づき道を正していこうとする主人公の姿、またどこまでも自分を守る自我の姿やプライド。いろんなことを考えさせられている。
 何時の時代にも「真理」を実践する人はいた。今年は、そういう歴史の人達に出会い、学ぶ機会の多い年の様に感じています。
 とても爽やかな、そして、静かな心を感じて来ました。
 まだまだ暑さの厳しい時、くれぐれもご自愛ください。
                                                       2007.8.16 長嶋記
     



自悠空間便り・65
 匹見峡もようやくいつもの流れに戻ったようです。自然の采配は、潤いであったり、災害をもたらしたり、本当に微妙なバランスで成り立っていることを深く感じています。
 先日、75歳のお誕生日を迎えたAさん、パソコンでホームページを一人で見られるようになったと、これまた、苦労した様子の携帯メールで連絡がありました。ホント!凄いです。脱帽です。パソコンを習おうと思ったきっかけが秀蕊のホームページをじっくり読みたいと思ったので後は、何も出来ないんですよ・・・とのこと。嬉しいですね。また、松明(たいまつ)戴きました。
 以前の便りに「ホ・ジュン」のことを書きました。ご覧になっていた方から感想を戴きました。私は、チャングムの時のように全てを見た訳ではなく(時間が出来たら、見たいと思っていますが)昼食時、何度か見た内容がとても良かったのです。
 「ある患者が、医師であるホ・ジュンの針治療を受ける。医師はこの症状なら3日で治るという。しかし、実際は4日掛かった。患者はホ・ジュンに文句を言う。ホ・ジュンは人間が出来ているので、わがままな患者に丁寧に説明する。本当は3日で治った。しかし、1日治療の出来ない日があった、あなたの症状は、食事の注意が必要と言っていたのにも関わらず、あなたは隠れて食べていた。脈を取った時、胃に食物が残っていたので、針が打てなかった。そういう訳で治療が一日延びた、と説明する。しかし、患者は食べたことをまだ認めず、感謝の言葉も無く、医師であるホ・ジュンのせいにする」。
「病」は一つの状態だと思う。命の働きに逆行し、心身に負担をかけている状態と思う。表面の自分の大丈夫!と深い意識の望み、大丈夫!は違う時がある。自我の思いとは別に生命の働きはある。
 自分の思いに固執していると、結果自分を苛める生き方になるだろう。ホ・ジュンは医師として、命にたずさわる者としての心得、生命に対しての忠実さを持っている。そして、患者にも分け隔てなく接し、人としての生き方、心のあり方を医術を通して伝えている。自分の仕事に忠実な人だと思う。ドラマの中にたくさんの教え、考えさせられるところがある。見ていると登場人物の課題はよくわかりますが、自分は別と思ってしまうからドラマは延々と尽きなく出来るのでしょうね。
                                                      2007.7.22  長嶋記
     



自悠空間便り・64
 
 各地で台風の被害、新潟の地震と、いろいろなことが起こっています。人事(ひとごと)ではありません。
「環境からのメッセージ」にもっと謙虚に、敏感でありたいと思います。天地の大きな変化・異変に、目の前の環境を心に返して、静かに見つめ直していくことを再認識しています。被害がこれ以上広がらないことを心から願っています。
 「表現の会」を3月から始めましたが、予想以上にみんなの要望が多いことに驚いています。「表現する」ということを通して、自分に気づき、課題に気づき、抱えている問題を自分で解決していくきっかけにして頂けたら・・・と2年かけての10回コース。
 なぜ、表現することに戸惑いがあるのか?何が、自分の表現を阻んでいるのか?一般に「表現の会」というと話し方のようなことが主に思われますが、聞き方、先入観無く、自己解釈無く、ただ素直に聞く!ということもかなり大切です。感情で受け止めてしまうことで人との関係がうまくいかないことも多々あります。
 また、善意の第三者というのも重要ですね。当事者だけでなく、人から話を聞いた時の対応。それによって人と人との関係に溝を作ったり、加担してしまうことがある。問題が発生するには、必ず双方に課題があると思う。また、当事者を取り巻く人達の対応もそれに加担してしまう。会議などでは、発言した人の内容ばかりに批難が集まるが、発言は完璧である必要はないと思う。違うと思えば自分の考えを話せばいい。そこで発言に対して批難するから発言を控えてしまう、籠もらせてしまう。また、発言者も自分の意見を言うのはいいけれど、人の意見を聞く耳を残しておかないと威圧的になってしまう。
 話し合いの目的は何か?感情をぶつけること、不満を言うこと、意見を言うこと、気持ちを話すことの違いを区別する必要があると思う。
 人の前で話さず、心の中で人を裁いたり、批判している心はとても人の気持ちを不快にしてしまう。もっと爽やかに!人の心の中にはわがままな自我の思いもあるけれど、人と繋がりたい、共有したい、いいものを感じたいという意識もある。気光はそんな自分の自我の曇りに気づきながら、共通意識の部分を引き出していくことだと思う。中心からの曇りの無い心で語り、行うことは、必ず相手の中心に届きます。自分が、自我が出た行為は、人の自我に反発という火をつけてしまいます。傍観者は人からは裁かれないでしょう。でも、心は曇ります。自分で自分を許せなくなります。自分を信じられなくなります。梅雨空ですがせめて心は爽やかに!
 どんな嫌な体験も、必ず、何が原因だったのか?学びに変えて生きましょう!
 深く、強く、爽やかに、完全燃焼だぁ!!
                                                       2007.7.18  長嶋記
   


自悠空間便り・63
  
   
暑中お見舞い申し上げます                 

                                       

 九州ではかなり雨の影響が出ているようですが、台風も発生しているとのこと、被害の少ないことを祈っています。
 バースデープレゼントに戴いた「博士の愛した数式」というDVD、ようやく観ることが出来ました。とてもいい内容でした。韓国のテレビドラマ「チャングム」や「ホ・ジュン」に続いての秀蕊気光研究会推薦!です。
 数字というものに対する見方が変わりました。そして、記憶が80分しか持たないという主人公の数学博士が語る穏やかな言葉の美しさ、深さ、素直さ・・・まさしく気光の世界と感じました。人は、年齢とともに記憶が不確かになったり、消えたりします。でも、最後にその人の記憶に残る言葉や世界が何なのか?とても考えさせられますね。
 母が年齢とともに物忘れが出てきていますが、自分の責任と思っていること、長年、一人でこの土地を守ってきた母の身についた行動がとても私の心に響いています。そして「何かできることはないか?」と人の見えない場所で草を抜いたり、掃除をしている姿に言葉からではない母の生き方を感じています。本当に人に何も求めない人です。ただ、自分の役目を淡々と、黙々と、一日一日過ごしている親の老後は、自分の心の中心を強く、太くしてくれています。
 一般的な、通俗的な愛、与える愛、許す愛。愛を与えるにも深い智慧がいりますね。相手の自立を奪わない愛、依存・欲を引き出さない愛が必要ですね。孤高の愛ですね。
情というのは、その人の一番欲しいもの、欲であり、求めているものだから、引き摺られるのでしょうね。愛が大きく、情は少なく・・・かな? 爽やかなビデオを観ながら感じました。お時間のある方、是非ご覧下さい。
                                                      2007.7.11  長嶋記



自悠空間便り・62
 「心」を無(亡)くさないよう、忘れないよう「心とともに」毎日を過ごしております。
 先日テレビで瀬戸内寂聴さんが「私はいつも荷物が多いのよ。どこでも原稿を書けるように資料を持ち歩いているから」なんて話されていたけど、私もついつい・・・時間があったら、と荷物は多くなってしまう。基本的に、どんな場所でも仕事は出来るタイプなので、メッセージや原稿を持ち歩いている。新幹線は大好きです。隣の席が空いていたらラッキー!コーヒーを飲みながら、講習の準備や資料作りが出来るし、車中なら連絡やメールの返信も即(速)出来るのではかどる。
 昔、中国でこんな話を聞いたことがある。井戸を最初に掘ろうと思う人は確実にそこに水が出るかどうかわからないけど感性を信じて、掘るということに人生を賭けていく。だから水が出れば自分の感性の成果だから嬉しいだろう、でももし水が出なくてもこの人は掘ったことを無駄だったとは思わない。一緒に掘ろうと思う人も、賭けてみようと思える人と出会えたことで、結果はともかく幸せでしょう。大抵は、水が出てから関心を持ち始める。人生で井戸に出会い、欲得を離れて賭けるものがあったなら幸せだろう!
 私も気光という井戸に無尽蔵の可能性を感じているので、掘り続けたい!と思っている。
                                                     2007.6.25  長嶋記



自悠空間便り・61
 大好きな紫陽花の季節です。今年は、雨が少ないため、夏の渇水が心配されています。せめて、心の潤いだけはなくさないようにしましょうね。暑くなりそうな夏?を乗り切るために、気力・体力・精神力そして、気光を学んでいる私たちは、丹田力も充実させていきましょう!! イェーイ!!
 新潟に行ってきました。この所とても移動が多く、荷造り・宅急便が間に合わない。車にドーッと積み込んで、1700キロ。
 新潟に行く途中、気になっていた場所が何箇所かあり、今回はどうしても寄ってみたい、確かめてみたい、と思ったこともあり、時間的にはハードでしたが、車で行ったことで充実の新潟行きでした。また、今回は、同好会のメンバーとの交流会の中でスピリチュアルアドバイスをお届けすることが出来、気光についての話も講習会場以上に??たくさん出来た、いい時間だったのではと思っています。
 「秀蕊気光を学ぶ会」としてたくさんの気功から秀蕊を選んで、学ぼうとしてくださっているのだから、学びが進む関わりと交流の時間にしたいと願っています。勉強会という不特定多数の方との出会いの場では、出来るだけ、一度限りのご縁という方もいるかもしれないので、未開の意識場に可能性があることや心身息という三方向の安定が必要であり、具体的な方法を、時間の許す範囲でお伝えしたいと思っている。
 より積極的に学んでいこうとする方には、私も要求を出します。「秀蕊」を理解する努力をしてほしいと!!いろんな関わりの中で、メッセージだけ、遠隔だけ、気光水だけ欲しいという方もいますが、基本的にこういう一部の関わりはあまり考えていない。なぜなら、こういうことは秀蕊の一部分であり、一部の関わり、理解は根本の解決に向かわないと考えているからです。きっかけは心の問題、体の問題でもいい。その時は苦痛をまずは取り除くことが必要でしょう。しかし、次の段階として、何が自分の心身、環境との不一致なのか?内からの声を聴こうとする姿勢につながって欲しい、自分を見つめるきっかけに繋げて欲しいと願っている、表面の問題が解決するとどうしてそんなに傲慢になれるのだろうと思うほど、エネルギーを自分勝手に使ってしまう。
 自分を、人をいじめることなく生きることを学びたい。本当に願っていることを常に自分に問いかけながら生きたい、そうしなければ必ず、戻らなければいけないことになるでしょう。
 松明(たいまつ)を持ち帰るだけの学びから、人に求めてばかりの学びから、もう一歩、心をあげて理解する、協力する、力を集めていく意識を、自分のことだけにアクセク時間も心も使うのでなく、もっと意識を広げていきたいですね。気光の勉強をしているのですから、単なる気光の勉強にしないで喜光の学びに変えていきましょう!!
 沖縄の言葉に「ゆいまーる」というとても素敵な言葉があります。「ゆい・結い」まぁーる(まわる)かな・・・。みんなが力を合わせそれを循環させること。源体感、意識で考えるなら、考えられたなら可能なんだけどな。ただ、私は、聖のメッセージを忠実に、分かりやすく、、爽やかに、明確に伝えたい!! 気光を一心に、一身に。迷いなし。必ず、完結します。
                                                      2007.6.19  長嶋記


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