自悠 空間便り・
1〜10
11〜20
21〜30
31〜40
41〜50
51〜60
61〜70
71〜80
81〜100
101〜110
111〜125
126〜135
136〜155
156〜170
171〜180
181〜200
201〜220
自悠空間便り・40
イチゴ・メロン・スイカ・・・初物を戴き、初夏を味わっております。椎茸の菌を打ち、植木の刈り込み、お茶や梅作業と、自悠空間繁忙期に入りました。ようやくそれぞれが申し出てくださった担当を責任を持って果たしてくださり、また、作業に参加してくださることが定着し始め、いい形になってきたな〜、と嬉しく思っています。それぞれが自分の仕事をする
!
という意識で働いています。皆さんのお手伝いのお陰で、私も講習や、本来自分のなすべき仕事に専念・集中できる状況が整いつつあります。
先日、出合原(道川)の旧割元庄屋「美濃地屋敷」で月一度、精進会席が設けられることになり、行ってきました。塗りの器に心をこめたお料理、とてもとてもおいしかったです。旬の食材を生かし、土地の食文化を継承したいという主催者の趣旨、屋敷のとても気持ちのいい空間でのお食事。是非、来、来!!です。 気光の道理に添っています。
6月22日 長嶋記
スイカ
イチゴ
椎茸
美濃地屋敷
精進会席
自悠空間便り・39
日に日に、緑が映え、美しい季節です。晴れたら晴れの、雨が降ったら雨の、季節を楽しんでおります。人工的に作ったものと違って、自然のあり様から受け取るメッセージは大きく、力強さや厳しさ、すべてを受け止めたいと思います。
自悠空間も出来るだけ、自然を活かし、不自然な手は加えないでいきたいと思っていますが、どこまで環境を守っていくことが出来るかな?とちょっと気になります。とにかく、原点を意識した素朴な場でありたいと願っています。
今年の母の日、母へのプレゼントに、初めて「聖のメッセージ」を贈りました。毎日、いろいろな方にメッセージをお届けしていますが、家族にはほとんどと言っていいほどありません。一つには、日常会話の中で、伝わっている部分、また、私の性格でしょうね、本人が必要・欲しいと言えば渡したと思いますが。去年から、母は少し、精神的に自分を責める傾向が出始めていました、以前のように体が動かない・・・・ということと、何か、手伝いたいという思いの間で、悩んでいたのだと思います。私の母というのは、一番辛い部分やしんどい部分、人の眼に触れない部分を見えないところで、黙々と地味に、生きる人なのです。それだけに母の静かな晩年に、この自悠空間をヒーリングスペースとして開放したことでの母への精神的な負担があるのでは?と気になっています。忙しい私の日常を見る事は母にとって辛いことなのだと思います。そこでメッセージを贈ることにしたのです。母は、不思議そうに、そして「どうして、自分でも気がつかなかったことがわかるんだろう」と何度も、何度も読んでいました。そして、聖の「人生の結果を受け取る時という言葉、もう十分、なすべきことを終えていますよ。だから、もうのんびりしてください」という温かい、励ましの言葉に元気を取り戻したようです。本当に、十分なのです。母が余分な気を使うことなく、自分の人生を納得して、受け止め、受け取り、心静かであって欲しいとだけ願っています。私の人生にとっても母の晩年には必ず、私は心身・精神両面で添う!と決めているし、実現している。父に対しては、それが出来たと思っているし、悔いはない。気光は、病気直しではない、人がどう生きるか?自分の人生を、生死を深く見つめて生きることだと思っている。だから母の人生にも最後まで伴走したいと、気光的な伴走をしたいと思っている。
時々、なぜ、自分は、もっと気楽に、気楽な仕事をしないのか?と思うこともある。人の人生の転機に出会う。軽く、責任の取らないかかわり方もあるのに・・・・・しかし、結局は、自分の望んでいる道を私は、歩いてきた、歩いているということなのだと思う。自分の感じている可能性を追求したいのだと思う。だから光を見極めたいのだと思う。それが本当に真実に届く光なのか?方法なのか?自分を支えているのもこの感性だから、自分はごまかせない、自分への可能性の追求なのだと思う。この点だけは妥協したくないし、できない。
先週、出雲の斐川に講習に行ってきました。三年前、県の講習会で聞いてくださったMさんがお世話してくださった仕事です。ずっと願っていました・・・・といってくださったこと、ずっと覚えていてくださり、実現してくださったこと、本当に嬉しく、感謝です。安来からKさんも来てくださり、この方も講習会のあと、すぐに匹見に来てくださった方です。心に思っていても実現にまで意識を持ち続けてくださる方は少ないと思う。心から感謝でさせていただた仕事の一つです。私の原動力です。出雲まで、日本海を楽しみながら、150キロのドライブしてきました。
2006.5.16 長嶋記
田植え
母の日
タンポポ
自悠空間便り・38
木の芽時、木々の緑に、明るい生気を感じています。連休の自悠空間はとても賑やかでした。前半はミニ合宿。後半は、新潟のYちゃん一家が遊びに来てくれました。大阪のKさんの家族、滋賀のTちゃんと、久々に子供たちのはしゃぐ声が響いていました。ちょうど匹見祭りと重なり、 山女のつかみ取りや、太鼓にチャレンジしたり・・・海に、渓谷のハイキングと、みんな元気一杯でした。都会では、なかなか出来ない花火・爆竹に大喜びでした。お天気に恵まれ、よく遊び、よく食べ、よく動いた連休でした。日帰り・泊まりあり、家族参加・一人参加ありでしたが、いつものミニ合宿とは、一味違った時間を過ごすことが出来ました。
人に生かされて人生。
人を生かして人生。
「心歌」の一節ですが、本当にそうだなあ〜、としみじみ感じています。
「感性」を磨きたいと思う。
「感謝」
いい言葉だと思う。そして、深い言葉だと思う。でも、感謝という言葉を言葉にする時、どれほど意味を感じているのだろう。心に感謝の言葉を響かせたいと思う。「ありがとう・感謝しています」で、自分のなかの傲慢さ・放漫さを曖昧に帳消しにしたくない自分がいます。何か、この所、気光に出会えたこと、深く、人の人生、自分の人生を考えることの出来ることにとてもとても喜びを感じています。中途半端に人生を語らず、追求したい心の深い所から、新たな思いと力が湧いています。
まだ、自分は、妥協も守りにも入りたくない。
2006.5 長嶋記
笑顔満開えりチャン
芝桜
?ストーン
自悠空間便り・37
もう四月というのに、櫻の花の咲くこの時期に、雪とは!本当に天気・人の気・体の元気・運気・景気・・何か、不安定。
自然からのメッセージを真摯に受け止めなくてはいけないと思う。
先日の新潟の講習会、久々に車で行ってみた。新潟に住んでいた時は、ずっと車で往復していたのですが、自分の中で、この原点のルートの変化を見てみたいと思ったことやら、春の陽気に日本海・北アルプスを眺めながらのドライブでした。移動の途中、久々の場所、見落としていた場所、新たに出会った場所、やはり今回は、車で行ってよかったです。講習会にも、何年ぶりに参加という方もいらっしゃり、とても嬉しかった。講習会の合間にTさん宅に伺い、どんな時でも、どんなに大変なのさなかでも変わらない姿勢・対応・生活ぶりのTさんにとても大きな力と後押しを戴いた。堅実な、誠実な人と思う。人間として筋の通った芯のある人と思う。
Yちゃん一家、電話すると「どこどこ?行くいく」なーんて家族総出でやってきてくれた。三人の子育てで大変だろうと思うMちゃんだけど、子供のためならどこでも、何をさておいてもと行動するMちゃんには本当に感心させられる。
生後2ヶ月から関わり、オムツだったYちゃんも今年の春には、6年生。駅の待合室で気光をしたことが懐かしい。元気に、そして、何より素直に育っていることが嬉しい。
人は、みんな自分の意思で生き、そして、決定している。だからそのあり様については、理由がある。自己実現している。ただ、この自己実現は、明確ではない、曖昧な部分があるので、自分の自我・希望願望という一方向だけの設定だから、自分自身の意に叶っていないと思っている。天は、その人の願っている本音(多分、この本音は自分でも気づいていない、いや、気づこうとしていないかも)の実現に、ストレートに力を貸してくれているのです。体も、心も、環境もすべて、自分に向けたメッセージです。エエー??という声が聞こえそうですか、本当、ホント!
すべての答えは、自分の中にあり!問いの周辺に答えあり!です。
聖嘘いわなーい。これ真実、それには内観です。
内観は、きっちりと正しく積み重ねていけば、納得の自分に行きつきます。ただ、内観は、導きが大切です。最短を目指すなら、必ず、きっちりしたやり方を行うことです。
2006.3.30 長嶋記
夕焼け
咲いた!咲いた!
私は誰?
自悠空間便り・36
蕗の薹が顔を出し、流れる川の色にも春を感じるこの頃です。肌に感じる空気が柔らかく、暖かく感じます。
三月から、ヒーリングスペース自悠空間も始動しました。。
先日HPをご覧になった方から「秀蕊調整HS」とありましたが、HSってなんですか?との問い合わせが数件。テレビによく出ているHGハードなんとか・・・・とは関係ありませんよ。なんて言いながら、「聖スペシャル調整」のHSです。受けた人によると、聖スペシャルHSHですよ!!との感想です。受けた時より、後から鮮明になるので、かなりハード!らしいですね。心身の調整プラス真相(深層)内観と思って頂ければいいと思います。
ボデイチェック(気流チェック)も今までの表面のチェック(現在表面に上がっているもの)と深層の気流チェックの両方からの説明と療法に切り替えました。多分、これは、秀蕊気光の真髄と思います。表面に上がっている課題や問題、外からの解決、原因という根本からの解決、両方いります。そして、それが「意識」のみで深層(真相)に触れ、そこで解決しないもののみ、外からの調整をするという、あくまでも自主性、有意識のもと、自然の力を引き出すきっかけとなっていくと確信しています。
同時に、今までの自分のやり方も大きく変えていく必要性も感じています。受身の人には、遠隔も含め気光力を使わない!ということです。心や体が止まってしまう時、動かせないときはあると思う、その時には、補(補う・補助)という療法や手助けは必要と思う。それは今までも、これからも惜しまない。しかし、何時までも受身ではいけない。秀蕊の功法にはその人が、どんな状態であれ、できることはあるんだから、ほんのわずかな一歩でもいいから、自力を出そうとして欲しい。また、古くから秀蕊を学んでいる人は、そういう手助けの出来る学び方をして欲しいと願っている。どう人と向き合うか?自分の課題であり、自分を成長させるいいチャンスなのだから・・・
秀蕊気光の指導者となろうとする人は、大いに悩んで欲しい。
この悩みはいい悩みだと思う。自分以外の人のことで心を埋められる人は、上等じゃ!!大概は、自分のこと、自分に関わることで頭を埋め尽くしている。
ようやく秀蕊気光HSを表に出せそうだ。後は、もっともっと磨きをかけ、洗練させていこうと思う。あと一つ、どうしても完成させたい気光がある。それも間近にテストに入れると思う。十代から、自分の願っていること、学んできたこと、感じていること、ただそれだけを追求してくることで来ている気がする。これからは、もっと秀蕊気光を通して、社会に還元したいと思っている。「奉仕」の真の意味をみんなで考えたい。
それも秀蕊気光的に!
静かな気合で満ちています。
2006.3.9 長嶋記
開花間近!梅の花
春の竹林
陰陽ですね!
自悠空間便り・35
人は、何を観て、生きているのか?
何を求めているのか?
天才・人災・想定内外の出来事・・・あまりに多すぎる
一人、ひとりの心の影
社会の現象の縮図は一人、ひとりの心に、心の中にある。
反省がないわけではない、感謝がないわけではない、でも欲と保身の中では、見えないだろう。
本当に、自身も含め、人間の傲慢さ、身勝手さに、唖然とする。
気がつかないから、気がつけないから、繰り返してしまう、みんな知っている善悪、良心もある。違法と不正。知識と智慧。自立と身勝手。便利さの代償、失うもの。可能性と欲・錯覚。その場、その時だけでなく、続いている、つながり、巡っていることの自覚と責任。
自分は、気光と出会って、生きる意味を考えるようになったと思う、深く生きていきたいと願っている。自分を限定したくないし、可能性の追求はしたいと思うけれど、自分の分はしっかり知っておきたい。
この、今の時代の中で、秀蕊気光は?一月一日の全体のメッセージ・秀蕊気光へのメッセージ、ずっしりと受け止めている。秀蕊らしく、秀蕊気光らしく・・・いきますヨ。
2006.1.24 長嶋記
雪見灯篭
雪の中のランプ
ファイト!
自悠空間便り・34
2005年から2006年へ
昨年の12月は、匹見に来て、初めてという大雪となりました。
私たちは、新潟での豪雪や札幌の氷体験とあるので、そんなに驚くことではありません。経験というか、体験というのは、本当に大きなものですね。人の感性を、受け止める力を強くしてくれるものですね。いろんな土地で、暮らしてきた経験は、確実に自分の人生に大きな影響を与えてくれていると思うこの頃です。
穏やかな、お天気に恵まれた新年を迎えることが出来ました。
比較的、ゆっくりとした年末だったお陰で、30日、3日と山口や津和野まで、ドライブしてきました。海岸線に沿った冬の海は、とても、静かな中も、深さ、迫力があり、よかったです。ここで呼吸法もいいな〜、と深呼吸!!皆様にも海沿いの景色をお届けいたします。
28日、31日の発信後の満天の星!感動しました。雪明りと星空。これぞ自悠空間!少し、肌寒い感覚と空気の澄んだ状態、札幌に居た時のことを思い出しました。ピンとした、空気が好きでした。自分の意識の中に、こういう感覚を持っておきたいと思っています。
年々、自分の環境は静かになってきている、しかし、同時に、静かな分、対応すべきことは多種多様、増えてきている。新年からいろんな電話や情報、依頼があったけれど、心や時間を何に向けるか?すべては、自然が教えてくれる、気光発信の時、自分自身もとても大きな、いや、多分、自分の人生の目標であり、ずっと求めてきたことをドンと確認しました。新年から、チャレンジでした。同時に、いろんな地域に居る人達、それも秀蕊気光に意識を合わせてくださった人達に二種類(個人、全体)のメッセージを伝えるという気光的チャレンジです。ほぼ、お届けできたように感じています。
全体のメッセージに関しては、キャッチが難しかったようです。先ずは、自分の枠を超える努力、その努力と同時に、全体を考える意識を養っていきたいと思っています。私自身、もっと柔軟に、明確に、そして、一つの道を、道が無ければ拓くことに惜しみなく心身を使いたいと思った年明けでした。知人の年賀の中に「今まで仲間を助けたいと思っていましたが、その思い事態が、傲漫と気づきました。これからは、心のきれいな、意識の高い人とご一緒したい」と。
静かに!数年前、受けたメッセージの数々。「人の心の、意識のあり様を自然は教えます。どこで、何が、起こっても、自分に関係ある、ないではなく、意識の現すもの、意識の根底にあるものを観ること」一人、一人の意識の形、反映、縮図が世の中であること、を今、この時間、生きているものの自覚として持ちたい。もっと、もっと、自分の気光力を上げなけれは!まだ、力が足りない!私も、新たな気光療法にチャレンジします。
2006・1・7 長嶋記
海岸風景その1
海岸風景その2
海岸風景その3
自悠空間便り・33
2005年12月15日
雪景色1
雪景色2
雪景色3
ここは
清源境
深い気づきの場で
ありたいと願っています。
雪と灯り1
雪と灯り2
除雪車
自悠空間便り・32
いよいよ今年、最後の月となりました。皆様にとってどんな一年だったでしょうか?今年は、決して、「忙しいとは言わないぞ!」と決めたのですが、やはり体フル回転の、忙しい連発の一年でした。でも、自分の中の優先順位や意識はとても明確になっていることが、空虚な忙しさにならなかったと思います。いつも自分の受け止められる思考と自分の行動の一致点を許容範囲と思っているので、それが崩れるときは、許容能力を超えていると、すぐに見直すようにしている。
金時飴のように、どこにでも顔を出す、なんでも受けるという、そんな生き方はしたくないと思っている。きっと不器用なのだろう。
先日の講習時、この気光に若いころ出会っていたら、自分はもっと最短距離で来れたかもしれないと感じていた。でも、また一面、自分の前に人はいない、導きは自分の内部の声、それをずっと信じ続けられたこと、自分を高めるチャンスも困難も自分を鍛える忍にして来れたとも、しみじみ感じていた。「秀蕊気光の完成」という人生をかけられることに出会えたことの幸せ、伝えられことの幸せを深く感じています。何か、自分の中で、とても自由な、自在なものを感じている。自分を、自分の眼を、感性を心から信じているlことを確認していた。まだ、自分は納得していない。もっともっと可能性を追求したい、人の潜在的な力を信じている。気光を研究し続けたいという気持ちが強くなっていると感じている。
2005年12月2日 長嶋記
冬に向かう椿
枯葉美
もうすぐXマス
自悠空間便り・31
暦の上では、立冬。どうやら短い秋となりそうです。
今年の夏は、知人のOさん宅の庭にあるゴーヤ、それも立派なゴーヤで「いいのがあるよ」と連絡を下さる。お蔭さまで、自悠空間のお客様は、毎回、ゴーヤを堪能、楽しませていただきました。一昨年、ゴーヤにチャレンジしたのですが、できたゴーヤはちょっぴり萎縮型。
今年、最後のゴーヤを戴いて、記念撮影!
先日、退職後、山間の地に居を構え、自然とともに生活を始めたという方と出会うチャンスがあった。広島との行き来の中で時間があったら寄ってみたいと思う場所、所は沢山あるのだけれど、なかなか時間に追われてしまっている。とても静かな場所、穏やかな生活をされていることがお顔の表情から感じられた。そして、なにより本当に自然が好きな方なのだな、ということが感じられた。決して、隠遁生活でなく、自然を守るということでの社会活動もしておられる。また、多くを語る人ではないのですが、生き方の芯を感じて、いい出会いをしたなあという思いがした。
自然を、自然の意味を理解することは私にとって大きな人生のテーマです。自然の中にいるから、自然な生き方をしているとは、言わない。人工の自然を自然と思う感性も好きではない。そろそろ、自分の願う生活への移行を始めたいと思う。
この所、気光ハリの問い合わせや調整依頼が多い。しかし、基本的に私は、調整を主に考えてはいない。気光の可能性として、自分の研究課題の一つではあるけれど、それだけを求めてくることには、違和感がある。
「心と体にやさしい生き方」という大きなテーマの中に、遠隔も気光ハリも、調整水もある。すべて、気光の可能性として、表現している。また、この気光ハリがどれほど時間を要するか!受けた人はわかると思いますが、自分の一番の仕事は、メッセージを中心にしたスピリチュアルアドバイスや内観を重点においている。そういうものをベースにした、自立・自律法を伝えたいと思っている。
ヒーリング水(調整水)にしても、遠隔にしても、慣れというものは怖いと思う。大きな驚きや期待感は、すぐに人を欲の世界に慣れさせてしまう。私は、こういう一般で言う超・能力世界に付加価値をつけたくない。むしろ、付加価値をつけていることに対して、チャレンジの気持ちがある。これは、人の可能性の、根源のエネルギーへの問いかけであると。しかし、欲な人に「欲で、こういう能力を使ってはいけない」とも言われたくない。
自分にはずっと人生のテーマがある。これからも追求していくつもりだ。その結果として、今、秀蕊という気光がある。だから、突然、天から降ってきたことではない。出来ることなら、人の欲には、するりとかわしながら、学ぶ幸せ、追求していく楽しさをと願っている。そして、人の好意を感じられる深い、感性を大切にしたいと思う。自悠空間は私の人生の、生涯のテーマなのです。
2005年11月10日
ヒーリングスペース、周辺の秋の風景をお届けしたいと思います。
どうや!このゴーヤ
お茶の花
銀杏の木
紅葉
森の散策
自悠空間便り・
1〜10
11〜20
21〜30
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