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自悠空間便り・80
 お天気に恵まれたゴールデンウィーク!遊びも、作業も全開!でした。二段の滝に、匹見峡祭りにと・・遊び隊は元気、元気。作業隊も畑の一部を芝にする作業をしました。この空間は太極拳のできる場所、呼吸法の場、そして、花壇と森林スペースとなりました。大変な作業でしたが、そこには気光の会のメンバーです。必ず、学びの作業になります。
 「関わりの深さは、得るものの深さ・大きさ」
 出来上がったものを楽しむこともOKです。でも作る場を共有、参加していくことはもっと楽しい!
                                                        2008.5.5 長嶋記
     


自悠空間便り・79
 春の紅葉?広島からの県境の美しいこと!秋のようにはっきりした色ではなく、淡い、柔らかい紅葉!とても心が和みます。

 今、ヒーリングスペースは芝桜が見ごろです。田の神様も鮮やかな芝桜に囲まれています。ゴールデンウィークは、作業や遊びモードに入り、自悠空間は賑やかになります。この広い屋敷の管理をずっと先を見据え、より目的に合った形に、そして手入れのしやすいように・・・・この春から思い切った改造?をしています。ヒーリングスペースのイメージがどんどん形になってきています。「気」を感じ、「気」に添って、「気」を動かしていくことの実践です。
 練功をしていることだけが気光じゃあない!頭で、書物で知識で理解する範囲なんてしれている。「気」を感じられなくて、何が気光の勉強だ!もっと生きた勉強をしよう!!自分の頭の中に「気・楽」が溢れている。最近、自分は余り外に出ることに興味がない。机に向かって、スペース内で、たくさんの仕事がある。寝ている時間が惜しくて、朝早くから動いている。

 先日、母の納骨を済ませました。「永眠」この言葉が本当に相応しいと感じた。生前も、後も「精神の柱」となっている親の存在には、ただただ感謝しかない。親から受けた精神をこれからの人生で還元していきたいと思っている。

 陰陽マークに「感謝の塔」が建ちました。
                                                       2008.5.2  長嶋記



自悠空間便り・78
 今、ヒーリングスペースは桜や桃、レンギョウ、雪柳、芝桜と色とりどりの花が開花し春一色! いい季節です。

 大阪の表現の会の二期が始まりました。一期の方たちは2年目に入り、「表現すること」を通して、自分を見つめる、自分に気づくことが目的の勉強会です。ですから、同じメンバーで2年という月日をかけて学びます。自分をブロックしているのは何か?
 「話は人なり!」話し方、聞き方、内容・・・・その人の生きてきた歴史がそこにあります。人は、自分は語らずとも相手に分かってもらうということを望んでいる。でも自分はどれほど人に「気持ち」を伝える努力をしているだろう!どうせ分かってもらえない!とか、面倒とか・・・これは相手を低く見ている、扱っていることです。相手には高度な感性を求めているが、自分の感性は?そうかといって「何でも話さないといけない、話さないと絆は持てない」というのも疑問です。

 しっかりと何を伝えたいのか?自分が明確でないといけないと思う、その部分を相手の感性に委ねてはいけない。また、「自分のことばかり話している」間は、誰彼言わず、話すことで解決しようとしている間は問題は観えない!もっと自分と向き合っていくことが必要なのではないでしょうか?じっくり聴く、人の話を聴く!自分の心を見つめる静かな時間を大切にしてほしいと思います。

 「精神財産」を残せる生き方をしたいですね。
                                                       2008.4.17 長嶋記
     




自悠空間便り・77
 各地で花の便りが聞かれる頃となりました。春は芽吹き、新しい命を感じる季節です。また、旅立ちの季節でもあります。三月二日、母が還源致しました。89歳の静かな、静かな、安穏の旅立ちでした。


 母にこの世に迎えて貰い、その私が母を見送るという人生で、リハーサルなしの、一回きりの祭事でした。
 「忙しい子供の手を取りたくない!」また、最後までこの場所で、意識をもって元気でいたい・・・・という母の願いは叶いました。母の晩年に最後まで添えたこと、お通夜の夜、母の穏やかな顔を見ながら「これで良かったんだ!母のこの世での引き際だったんだ!」と納得いたしました。そして、この時ほど、自分は気光を学んでいたことに感謝したことはありません。遠隔が好きで、どんなに遠くにいても感じられる・・と不思議がっていた母。母ほど私の気光を受けた人もいないと思います。痛いところに手を当ててもらったら、それだけで治る気がする・・・と言っていた母。母への二通のメッセージ。本当?何故、私の気持ちや私の知らないことまで分かるんだろう?と何度も、何度も読んでいた母。一番の秀蕊気光の理解者、功労者でした。

 決して表に出ることを望まず、陰でずっと支えてくれた人でした。「人が喜ぶこと、辛いときに力になれる仕事ができるなんて幸せなことだから、大変と思うけどいい仕事をさせて貰っているね」と喜んでくれていた母。その母に気を感じて、体で触れて添えたことがありがたかったと思っている。気光を実践させてもらった。母のお陰で工夫という智慧を学ばせてもらった。

 父がこの地を拓き、母が守ってくれたお陰で、私はこの場にいます。黙々と人生を生き(息)切り、子供に自分の思いや荷を負わせることなく、自律、自立を背中で見せてくれた両親に、深く感謝しています。傲慢になりそうな時、心にある親の生き様が、きっと原点帰りをさせてくれると思います。両親から確実に、心棒を戴きました。最高の呼吸法を見せてもらいました。

 89歳まで、本当によく生きてくれました。お疲れさま!力を出し切り、燃え尽きた蝋燭のようでした。一層精神が入りました。必ず、私も人生の宿題を全うします!
                                                      2008.3.19  長嶋記
   



自悠空間便り・76
 立春も過ぎ、暦の上ではもう春!!外気は春とはいかないようですが、せめて心は温かく過ごしたいものですね。
 お休みの間に・・・と思っていたことを少しずつ片付け、ローからゆっくりセカンドへ、3月から始動です。

 少しずつ、変化させながら、一年一年、瞬間瞬間、留まらないで今年もと思っている。手離していくこと、過去にしがみつくことなく、引き摺ることなく、新たな「気光」にチャレンジしたいと思っています。
 よく、「いつか・・・・・」といわれる方がいるけれど、自分の人生の瞬間瞬間を燃焼したいと思うので、自悠空間も流動的でありたいと思っています。必要と感じる間はするし、必要ないと思えば手離す。ありたい自分の状態に全力をかけて生きたいと思っています。

 去年から今年にかけて、メッセージの答え、結果を通して「確信という力」を戴いています。気光を求めた時から、探していた「魂の故郷」も「記憶の意味」もはっきり確認出来た年でした。
今、自分にあるのは、自分の魂を方向付けてくれた「力」への深い感謝です。

 「人生の宿題」を全面に出していいでしょう! 人は生まれてくる時、自分で決めた宿題、生きる目的を決めている。自我の寄り道をしていては悔いが残る。
 自分はこの「人生の宿題」をする人とともに行くと決めている。そのための環境を選び、生活をしていると感じている。それ以外望んでいない気がしている。自分の人生の目的も幸せもそこにあると感じている。
  「聖・流」へ。
                                                       2008.2.13 長嶋記
     


自悠空間便り・75
    
     新 春 の お 喜 び を 申 し 上 げ ま す !

 新しい年が始まりました。白紙の、新鮮な気持ちで暮らしていきたいと思います。
三が日限定のHPのトップページ「南海観音様」のメッセージを受け取られましたでしょうか?一日の気光発信と合わせ、お届けさせて戴きました。

 年末から年始にかけ、たくさんのメッセージを戴きました。お伝えすべきことはお伝えし、なすべきことは淡々黙々と行っていきたいと思います。私自身もギアチェンジを致しました。

 「人生の宿題」をするために心・身・息を整え「内観」の出来る状態作りを!という姿勢は変わりませんが、昨年から身の部分はミニ合宿でもウェイトを少なくしてきています。
 
 「健康」「癒し」「安定」を口にする人は多い。たくさんの商品も方法もある。なのに何故、解決できないのか?手っ取り早く・・・自分を変えないで・・・簡単に・・・自我から考えているものは、結局、不安から離れられないだろう。たくさんのものを持ち、情報にあくせくしていくだろう。一人一人が「自我の欲」に気づくこと、見つめる眼、見極めの眼を持つことが騒がしくない、自分も人も裏切らない選択をしていく事に繋がるのではないだろうか?「健康」に「心」に不安を抱えていればいるほど人は、異常な関心と興味を示す。体や心の声を聴き、自分の本来のエネルギーの流れに沿っていくこと、そうすればおのずと健康な心身のあり様になるのでは・・・・?
 
 行動は「その人の意識」。何故、そんなことするんだろう?と人は人の行動について?を持つ。意識があるから、根本の意識にあるから、それが答えと思う。人には取り繕えても、自分は取り繕えない。不安も迷いもここにある。心の底から求めていないものは、心が逸(そ)れる。行動にはその人の価値観がある。内の「源」に添うか、外の「眼」に添うか?真理はシンプルです。
 
 混沌・混迷の中でも人は、中心にすべきものは同じです。むしろ混沌としているからこそ、原点を見つめる心が大切なのだと思います。「変わりますょ」と気光を表現して15年。本気で「変わる」ことをご一緒する時ですね。
                                                        2008.1.5 長嶋記
     



自悠空間便り・74
 2007年も残すところあと二日。
 
 今朝は「偽」の年と言われた一年を消してくれるような雪景色でした。まもなく新しい年が始まろうとしています。また、新たな気持ちで過ごしたいと思います。
 
 今朝は、一日の気光発信の準備に蔵の瞑想室に入っておりました。最近、TVなどでも、不安定な世相を反映してか、さまざまな予言や「気・超能力」というものを検証する番組があるようです。いつの時代も信じる・信じない・・・いろんな意見があります。そういう科学で証明されていないことは信じないという人、不思議大好きという人。私もいろんな人から質問を受けます。ただ、自分は疑う人に説得・納得させることに時間をかけることなく、誇示する必要もなく、人の依頼心に応えることなく、「人生の宿題・中心」にだけ問いかけていく聖の仕事を淡々と精進していきたいと思っています。
 天の意に適えば(かなえば)必要な力は備わるでしょう。力は使う必要があるから出るものです。予言・予知についても、人は聞いたからといって素直に受け入れるのだろうか?都合のいい部分はOKかもしれないけれど。負のことを聴く時、その人の自我を納得させるもっともっとたくさんの話し、・言葉が必要になるだろう。少しずつでも自分に気づき、自分の人生を受け入れていくようにしていくこと、学んでいく姿勢が大切と思う。地味だけど確実かな???伝えることのジレンマはつきものですね。
 
 2008年が安穏の年でありますように。
 一日は新年の気光発信!プラス・・・アンテナを張っていてくださいね
                                                       2007.12.30 長嶋記
   



自悠空間便り・73
 今年も残り少なくなって参りました。
 何かと気忙しい日々を過ごされていらっしゃることと思います。     
  
 先日、新聞を読んでいましたら「混迷・生きる」というある住職の記事が眼に留まりました。お釈迦様の教えの中に「四苦」がある。人生には四つの思うようにならないことがある。生まれること、老いること、病むこと、そして死。生老死は天にお任せするとして、病はどうだろうか?と考えている。
 住職曰く、お釈迦様の偉大だったのは、この真理を自覚された後、思うようにならない人生ではあっても、人間として真実に生きることは出来るはずだとお考えになられ、その道を極められたことだと。人生は、思うようにはなりませんが、仏様の願いの灯(あかり)りが見える方向に向かい、生かされて生きるとしたらすばらしいではありませんか?と。
 とても爽やかな、すっと心に入ってくる、仏教者でなくても腑に落ちる。真理は届く。
 物事を突き詰めると孤独になりませんか?ある人から質問されたことがあります。孤独になるか、孤高となるか?その人の求めるものの意識が問われるだろう。どんなに理解されなくても譲れないものはある。自分の人生を賭けても守りたいものもある。

 自分はこの道を歩く!聖道を歩く。
                                                       2007.12.17 長嶋記
     



自悠空間便り・72
 立冬も過ぎ、暦の上では冬。紅葉を楽しみながらの冬支度!です。
 大阪の講習が終わり、自悠空間のミニ合宿も今月で一区切り。来年の春まで冬休みとさせて戴きます。 

 この所、気分が安定しない・・・・ストレスをとても感じているが、どう自分をコントロールしていいのか?という相談が多い。私はあくまで、気光という立場から、具体的に、秀蕊の功法の中からまず必要なこと何かな?というところでお話を聴かせて戴いている。
 眠れないという人には、深いリラクゼーションとその人に必要な心の切り替えの言葉を。自力で気力のない時は、経路を通してのヒーリング、自分でコントロールする方法を学びたいと思えるまでは「補」の療法。ただ、補う、添ってあげるだけ。この時に求めても相手は負担になる。出来ない自分を責めるだろう。
 少し自分で出来ることを・・・という気持ちが出てきたら呼吸法や食欲の出るような体力づくり。そして、最後は、本当に元気になるため、気に過敏にならないため、自分の真の防衛のための気を敏感に感じることの出来る訓練が必要ですね。自分は何に反応しているのか?自分の価値観の見直し、思いグセ、逃げグセをしっかり見つめる内観かな?残していい自我、あれば自分を苦しめる自我もある。
 意識している時、人は一途さというまっすぐな気を発し、素直に伸びるでしょう。
 病気でも、問題解決でも、苦しさから逃れたいと「真理」に添おうと一途に謙虚でいれる。問題は回復に向かうとき、自分が出る。自我が出る。本当に解決したわけでなく、克服すべきことを残したままなので、それは「癖」となって本来その人の意識(本質)が前面に出てくる。強烈な癖となる。癖は、必ず新たな歪みを作る。其の意識は体の癖、思いグセとなる。
 環境でなぜ、苦があるのか?苦があるから自我が自分の意識では分からなくても「自我」が押さえられているのではないでしょうか?聖の温かい指導だと感じています。
 ただ、それを本人が納得、受け入れるには、学ぶしかない。縁は「条件・共通項目」でも「魂」はその人の全意識をしめているもの、意識の深いところのあり様の問題。自分で自我も有るが、人類共通の願い(人のために生きたい・繋がりたい・愛・思いやり・分かりあいたい・安静など)もあるのだからそれに目覚め、意識を意識するところから始まる。
 
 いつの時代にも聖人はいる、真実の人はいる。これも天の計らい。真実の人は、天則に添って人の生き方を、現実の中で、過去から現在、そして未来まで見通す(見透す)力と眼で導き、示していく人だと思う。せめて凡人の私たちは見抜き、見極める眼を養いたいと思う。
                                                       2007.11.13 長嶋記    



自悠空間便り・71
 季節外れの?向日葵の花に驚いています。匹見の紅葉はまだ少し早く、楽しみはこれからですが、広島との県境の紅葉は日に日に色鮮やかな変化を見せてくれています。この所、匹見峡に来られる県外の方達が、遊歩道から道に迷ってこられたり、道を聞かれたり、観光ガイドも結構忙しいのです。せっかく来られたのだから、ましてや初めてなら「○○いいですょ」なーんてついつい。
 一昨年に菌を打った椎茸が、立派に?成長し、食卓に並んでいます。秋ですね。
 内観に来られる人達が、初日に、「うわぁー、答えが出た!」なんて大喜び、「良かった、良かった」一緒に喜ぶ。が聖からは来られる数日前から、課題は届いている。そこが自分目線、自分思考と聖の視点の違い。更なる内観の深まりを目指して課題は届きます。ありがたいことです。自分の内観ではここまで気づかない、いや、課題にさえ行き着かないだろう。大概は、戴いた内観の言葉に「?」自分は何を気づいていないの?という感じだと思う。課題を戴いて、自分の課題に気づく・・・・というのが、一般的だろう。
 だから、体の問題、心の問題にしても「何故、その課題、問題が自分にあるのか?理解できていない。分からないから、何をどう変えていいのか?わからない。変えられない。変えるべきことは何か?がわかっていないのだと思う」これが一番の問題です。自我の中での問題解決は思考の幅を限定してしまう。。
 座っていても心が落ち着いていなければ、感性の声を聴くことが出来ない。頭が動いている間は、心の声は聴こえない。自分の答えにしがみついている間は、どんなメッセージもアドバイスも耳に入らない。
 この冬休み、自悠空間も模様替えをしたいと思っている。
 埼玉の仏画の先生Sさんから「大日如来像」の大作を寄贈していただいた。見通された(透された)眼の如来様です。たくさんの天縁と仏縁を戴いています。
                                                      2007.11.5  長嶋記



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